「過度な楽観」が続く米国株には警戒が必要だ 日銀の「姿勢の変化」も今後市場に効いてくる?
これに対して市場参加者の考えは、1カ月分の経済指標の低下は「大恐慌の到来」、次に1カ月分の経済指標が好転すれば「大好況の到来」といったところだろう。
つまり、エコノミスト的な視点で考えれば、景気の転換点をしっかりと見極めてから判断しよう、という姿勢になる。すると、転換点を誤ることにはなりにくいだろうが、転換点の判断はどうしてもかなり遅くなる。エコノミスト的な視点を踏まえての投資行動としては、大底でタイミングよく買う、あるいは大天井でぴったり売るということは難しい。
一方、市場においては「見誤るかもしれない」とのリスクを冒してでも投資家が大胆に先んじて転換点を見出そうとするため、最終的にタイミングよく転換点をとらえる確度は高まるだろう。ただし、転換点を正しく見出す前に、何十回も誤ると思う。
「一長一短」ある、2つの視点
これは、どちらが良いとか悪いとか言っているわけでもなく、どちらかを非難しようというものでもない。一長一短であるわけだ。
筆者を含めた市場の専門家(マーケットアナリスト)は、過去の経験(職歴など)によって、エコノミストないし「実体経済寄り」か「市場寄りか」といった、さまざまな「色合い」がある。前者に後者的な見識を求めたり、その逆を期待したりしても、ないものねだりで、投資家自身の参考にはなりにくいだろう。
やはり投資家にとって大切なのは、ある専門家がどういった思考形態で市況判断を行っているかの「型」を見出し、投資家自身の求めているものと合致する専門家かどうかを、最初に見極めることだろう。
ちなみに、筆者はどちらかといえばエコノミスト的な視点を持って経済などの実態面をとらえている。だが、最終的な成果物は市場見通しなので、市場に先んじて経済の底流に生じ始めている(いずれ大きな潮流となる)変化をとらえようとしている。
そして、明らかな潮流がまだ表立っておらず、足元の表面的なデータが自身の見解と逆行していても、筆者自身の目に映る底流が変わらなければ、表面的な数値を「誤差」「偶然」として自身の見通しを堅持する。そのため、局面によっては、筆者は市場の変化点を唱えるのが早すぎるのかもしれない(2019年後半の局面や、現在における、株価ピークアウトの予想など)。
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