外国人観光客が頼る、あの東京ガイドの強み 地域密着の「タイムアウト」は何がスゴイのか

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──その後、デジタルから始めて紙のマガジンを出したのはどんな戦略に基づいているのでしょうか。

創業者には「デジタルファースト戦略」をプレゼンテーションしましたが、タイムアウトといえばみんな紙の媒体を想起するわけだから、ブランディングとして雑誌は絶対にあったほうがいい。デジタルにある程度ユーザーを集めてから、フリーで雑誌を出そうと思っていました。ロンドンは2年前、ニューヨークでも最近、紙の雑誌が無料になった。ロンドンは無料化してからも雑誌の部数が伸びていて、広告売り上げも伸びています。

リーマンショックと震災で外国人が消えた

──タイムアウト東京を始めて大変だったことは何でしょうか。

2008年に資金集めを始めたのですが、日本政府も「コンテンツ大国、観光立国で日本経済のV字回復をはかろう」と旗を振っていましたから、タイムアウト東京はそれに貢献できるブランドネットワークだと投資家の方たちにアピールしていたわけです。海外に日本のファンを作り、日本でサービスや製品の市場を用意しておくことで、海外から日本に来てくれる人が増えれば消費に結びつく、と。

ところが、ライセンス契約を結び、いよいよというときにリーマンショックで外国人が2~3割いなくなった。それでも何とか頑張っていたのですが、2011年に東日本大震災でほぼ100%いなくなってしまった。外国人が来るといってはいなくなるので、僕はオオカミ少年のようになってしまったのですが、幸いなことにそれでもサポートしてくださる方がいて続けてきたら、東京オリンピックとパラリンピックが決まり、外国人観光客もすごく増えました。いま街を歩いていると外国人の方によく出会うのですが、当時の地獄のような日々を思うと、信じられない気持ちです。

──ウイットのきいた切れのある英文が持ち味ですが、編集の質を高めるためにしていることは?

編集者は知り合いを「一本釣り」で集めてきた。未経験者だらけだからこそ、型にはまらないメディアができた

結果としてはよかったのですが、当時としてはチャレンジだったのが「出版業界の人を入れない」と決めていたこと。出版、編集はこうあるべきというのに縛られたくなかったからです。

タイムアウト東京を立ち上げた当時、タイムアウトはすでに海外で雑誌としてのブランド認知があり、収益もデジタルより大きかった。そのなかで僕はブランド、ネットワーク、コンテンツ力を活用して、日本のマーケットに最適化してビジネスを組み立て直し、再編しようと思っていたので、コンサバになっていてはまずいと思いました。

そこで、同じ「お出かけ促進メディア」である、ラジオのディレクターにもスタッフに加わってもらいましたが、番組の台本を書いているはずなのに、予想を裏切って文章が書けなくて(笑)。そんなドタバタ劇もありましたね。初めの頃よかったのはタイムアウトアブダビから優秀な外国人編集者が来てくれたこと。おかげで英語側はタイムアウトらしさを出せるようになりました。

日本語の語り口はどんなパーソナリティにすればいいのか悩みましたが、翻訳っぽい口調は、ほかではやっていないのではないかと思い、そのままシンプルにしました。英語がしっかりしているので忠実に訳して大丈夫なのだと思います。

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