現代人が「働く意味」を見失った歴史的な深い理由 今こそ宗教改革以来の「労働観」を変えるべき

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キリスト教では当初、「労働というのは神から与えられた罰である」とされていました。神の教えに逆らったアダムとイブは、楽園(エデンの園)から追放されることになります。

そのとき神は、アダムに対して次のように言います。

「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(旧約聖書「創世記」第3章17-19節)

それが、聖アウレリウス・アウグスティヌス(354-430年)やヌルシアのベネディクトゥス(480-547年)の時代になると、労働は修道院制度の中に組み込まれていきます。中世の時代、労働は祈りや冥想と共に重要な行いの1つになったのです。

修道院は、主にカトリック教会の修道士がイエス・キリストの精神に倣い、祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設です。

ベネディクトゥスが、「すべて労働は祈りにつながる」と言ったように、修道院では自給自足の生活を行い、農業から印刷、医療、大工仕事まで全てを手分けして行っていました。

宗教改革が変えた労働観

これが16世紀になると、マルティン・ルター(1483-1546年)の宗教改革によって教会や司祭の権威は否定され、個々の信徒は神と直接向き合うようになります。信徒たちは魂の救済の確証を仕事に求め、与えられた仕事に励むことを宗教的使命と受け止めるようになります。

こうしてプロテスタントは、労働そのものに価値を認め、「(神の)呼ぶ声」という意味の「vocation」(召命)や「calling」(天職)といった概念に辿り着きます。

こうしたプロテスタントの精神に資本主義成立の根拠を求めたのが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のマックス・ウェーバーです。

ウェーバーは、西欧近代文明を他の文明から区別する原理は「合理性」であるとして、それを「現世の呪術からの解放」と捉えました。そして、プロテスタンティズムの世俗内禁欲の思想が資本主義の精神に合致していたとして、西欧特有の現象としての資本主義の成立を論じました。

ウェーバーが強調しているのが、宗教改革の指導者ジャン・カルヴァン(1509-1564年)が提唱した、「最後の審判に際して、神の救済に与る者と滅びに至る者はあらかじめ決められている」とする「二重予定説」です。

自分がどちらに決まっているのかをあらかじめ知ることはできないため、神から課せられた職業人の使命としての世俗内労働の中に救いの確証を求め、欲望を厳しく自制し、生活を徹底して合理化して蓄財に励んだことで、それが再投資に回され、資本の無限の増殖運動としての資本主義につながったというのです。

このように、働くことを通じて自分は救われるべきものであるという神の恩寵を確信できるというプロテスタンティズムの倫理観が、労働の苦しみはそれ自体が善であり気高いものである、従って労働そのものに意味があるという現代の労働観につながるのです。

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