こうした仕事は、まるで誰かが意図的に、私たちを働き続けさせるためだけに作り出したかのようであり、何より問題なのは、やっている本人自身が何の役に立つのかわかっていないというのです。
実際、イギリスの調査会社ユーガブがグレーバーの言葉を直接引用して調査を行ったところ、労働者の37%が「社会に対して意味のある貢献をしている」とは思っていないことが判明しました。「自分の仕事が有用だ」と思っているのは50%に過ぎず、残りの13%が「わからない」と回答しているのです。
現代の労働価値観=規律を守って長く働く
多くのホワイトカラーは、書類上では週40-50時間働いていることになっていながら、実際に働いているのはわずか15時間程度で、残りは無駄に時間を過ごしていると言います。しかも、いなくなっても大して困らないであろう金融サービスや企業弁護士などの年収は、10万ドルを超えています。
その一方で、製品を作り、運搬し、修理し、維持管理する人々が、コストカットの名目でリストラされてきました。
医師のような僅かな例外を除けば、看護師やバスの運転手のように直接的に社会に貢献していて、いなくなったら困る人たちほど賃金が低く、社会的には恵まれない立場に置かれているのです。
特に、2019年末に始まったコロナ禍において、人々の暮らしに不可欠な社会基盤を支える職業に就くエッセンシャルワーカーという、現場の最前線で働く人々が命の危険にさらされたことが問題になりました。この中には、医療、交通、食品、配送、清掃員などに従事する、特に有色人種や女性などの社会的弱者が多く含まれています。
ブルシット・ジョブは、利益至上主義の大企業においては存在し得ないはずです。グレーバーは、それにもかかわらずなくならないことの背景について、その仕事がどれだけ無意味であったとしても、規律を守って長時間働くこと自体が自らを価値づけるのだという現代の労働倫理観があると考えています。
こうした、労働にはそもそも宗教的な意味があるというプロテスタント的なメンタルな縛りを、現代人の「潜在意識の奥底に組み込まれた暴力」であると言っています。
こうした労働観が、数百年の長きにわたって私たちの中にしみ込んでしまっている以上、これをただちに打ち破るのはかなり難しい作業ですが、今、日本でも盛んに議論されている働き方改革を考えるうえで、自分たちの仕事は、本当はブルシット・ジョブなのではないかと問い質してみることが必要なのではないでしょうか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら