大谷翔平の名言「憧れるのやめましょう」の舞台裏 WBCで日本代表監督を務めた栗山英樹が振り返る

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一枚の写真を見つめる私の胸に、儒教の経書『大学』に収められている「慎独」の二文字が広がりました。「誰も見ていないところでも心正しく、雑念を抱かずに行ないを慎む」というものです。侍ジャパンの監督を引き受ける以前から、大事にしている言葉です。

若い投手陣にアドバイスする翔平は、まさしく「慎独」の精神に包まれていました。

確乎不抜の志

試合前のスタメン発表の前に、選手たちにしっかりと伝えたことがあります。「この強いアメリカに勝つために、みんなに集まってもらいました。普通に力を発揮してくれれば、我々のほうが強いです」と言いました。

それから練習へ向かい、試合直前に翔平に話をしてもらいました。侍ジャパンを応援してくれるみなさんが広く知ることになる、あの名言が飛び出した瞬間です。

「僕からはひとつだけ、憧れるのはやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見たらマイク・トラウトがいたり、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しもが聞いたことのある選手たちがいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるためにきたので、今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあ、いこう!」

実は試合前に、こんなことがありました。

通訳の水原一平が、ボールを3ダースほど抱えて監督室の前を通りました。私の視線に気づいたのか、一度は通り過ぎたものの戻ってきます。彼が抱えているのは、マイク・トラウトのサインボールでした。トラウトと翔平はエンゼルスのチームメイトで、一平も知り合いということで、サインボールをお願いされたのだと聞きました。

そういうことも踏まえたうえで、翔平は「憧れるのをやめましょう」と問いかけたのでしょう。

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『易経』の教えに「確乎不抜」というものがあります。意思や精神がどっしりとして、何事にも動じないさまを表わしています。

アメリカという巨大な敵を前にしても、怯まず、臆さず、気後れせず、ためらわず、敢然と立ち向かっていく。翔平のひと言は、侍ジャパンの原点とも言うべきスピリットを呼び覚ましてくれました。

難しい仕事を担当することになったり、強いチームと対戦することになったりすると、気持ちがもやっとしたり、重圧が肩にのしかかってきます。そんなときこそ、「確乎不抜の志」で挑みませんか。

『易経』はいまから3000年も前に成立した思想です。それだけ長く受け継がれてきたのですから、たくさんの人を救い、勇気づけてきたに違いありません。きっとあなたも、そのひとりになれるはずです。

栗山 英樹 北海道日本ハムファイターズCBO

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くりやま ひでき / Hideki Kuriyama

1961年、東京都生まれ。東京学芸大学を経て、1984年に内野手としてヤクルト・スワローズに入団。1989年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍したが、1990年に怪我や病気が重なり引退。引退後は野球解説者、スポーツジャーナリストに転身した。2011年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。翌年、監督1年目でパ・リーグ制覇。2016年には2度目のリーグ制覇、そして日本一に導いた。2021年まで監督を10年務めた後、2022年から日本代表監督に就任。2023年3月のWBCでは、決勝で米国を破り世界一に輝いた。2024年から、ファイターズ最高責任者であるチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)を務める。

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