大谷翔平の名言「憧れるのやめましょう」の舞台裏 WBCで日本代表監督を務めた栗山英樹が振り返る

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ファイターズの監督を拝命してからは、大好きな野球を存分に戦える舞台に立つことができました。しかし、当然のことながら勝負の世界は厳しく、最後の3年間はBクラスが続き、のたうち回るように監督生活を終えました。

森信三先生は「すべてためになる」と言います。苦しみは学びとなり、夢の舞台に立つために情熱をたぎらせ、知恵を働かせて前へ進みます。

自分にとっての夢の舞台に立って、どんな景色が広がっているのか見てみたい。年齢を重ねてもそんな思いは強くなり、ついにWBCの決勝という夢舞台で、アメリカと戦うことができる。

多くの先輩方がメジャーリーグに追いつけ、追い越せとやってきたからこそ、日本野球のいまがあります。先人たちが踏み出し、踏み固めてくれた道があるからこそ、私たちは野球に魅せられ、打ち込み、人生を懸けることができた。

だからこそ、黄金の好機とも言うべきこのチャンスを、逃してはいけない。2023年の1月1日のノートに、「WBCは人生の答え合わせになる」と書きました。ファイターズの監督としての10年間は、果たして何だったのか。WBCを戦うことで、あれだけ苦しんだ意味が分かるのではないかと考えたのです。その答えを、しっかり感じ取って、記憶に刻み付けよう。

いよいよ、その日がやってきます。

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準決勝から決勝までの間に、いくつか解決しなければならないことがありました。

ひとつ目は、村上の打順です。

私がカラーで見てきた現実になる姿は、「4番、村上」でアメリカを倒すというものでした。翔平や吉田は色々な経験を積んできて、何番で打っても微動だにしない自己が確立されています。23歳の村上にはWBCを経て彼らと並び立ってほしいので、4番でチームを勝たせることで彼自身のステージをさらに上げ、日本球界を引っ張っていく存在になってほしい、と考えていました。

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