「ガンジス川の水」で作ったチャイを飲んだら 死が日常に同居するインドで受けた衝撃

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当時のインドでは、現地の人でさえ水道水を飲むとお腹をこわすと言われていました。それほど水質がわるいからです。そのような状況の中で、煮沸したとはいえ、川の水を私は飲んだのです。にもかかわらず、驚くべきことに、私の胃腸には何の影響もありませんでした。

現代では、SNSで注目を集めるためならともかく、純粋に自分だけのためにそうした無謀なことをする人はもはやいないでしょう。でも、旅をして場が変わると、場の力により心身も変容することがあるのです。

思えば、20代だった私は、毎日右手でインドのカレーを食べ続けました。そうした食による心身内部の変容もあったと思いますが、それ以上に場の力による影響が大きかったのではないだろうかと思います。

死者と生者が入り混じり、人間と牛が入り混じり、ネズミとゴキブリが入り混じり、あらゆる生命が等価に存在していた、インド。シェークスピアの戯曲「マクベス」にある「きれいは汚い、汚いはきれい」 のような、価値が顛倒した世界。インドの旅は、若き私の感性を大きく揺さぶり、あらゆる固定観念をはぎ取ってくれた貴重な体験となりました。

旅とは場が根本から変わることです。とりわけ国境を越えるような旅には、人の心身をも変える力が含まれています。ただしその変化は、目に見で見てすぐわかるようなものとは限りません。むしろ旅による変化とは常に、無意識のうちで起こっています。いつの世も人が旅に憧れるのは、そうした偶発的な変化をこそ求めているからだろうと思うのです。

古くから、旅の効能は知られていた 

場を変えることには、古くから医学的な意味も見出されてきました。よく知られているのが、結核への処置です。かつて結核は不治の病とされていましたが、湯治や転地療養、サナトリウムといった「場を変える処置」がしばしばなされてきました。何もせず死を待つくらいなら、場そのものを変えることで生き抜く可能性に賭けたのです。

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日本におけるサナトリウムは、結核の療養をするための施設を指していましたが、結核の治療薬が開発されてからは、その意味合いも少しずつ変化していきました。心の病気や認知症、脳疾患の後遺症など、薬を飲むだけでは簡単に治療できない病気を含めたものをサナトリウムが受け入れていくことになります。

病に限らず、場そのものを変えないと根本的な解決が起きない事例は、たしかにあると思います。旅は、そうした治療的な行為も含んだものだと私は感じています。

稲葉 俊郎 医師、軽井沢病院長

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いなば としろう / Toshiro Inaba

1979年熊本生まれ。熊本高校卒業。医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけでなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。2011年東日本大震災をきっかけに、医療の本質や予防学を広く伝えるべく個人での活動を始める。古来の日本は心と体の知恵が芸術・芸能・美・「道」へと高められ心身の調和が予防医療の役割を果たしていた、という仮説持ち、自らも能楽の稽古に励む。著書に『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』、共著に『見えないものに、耳をすます 音楽と医療の対話』

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