「ガンジス川の水」で作ったチャイを飲んだら 死が日常に同居するインドで受けた衝撃

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事実、荷物置き場へ器用に上り込んで横になっている人は、快適そうに寝そべっているのでした。椅子に座っていては快適どころではなく、横から人がどんどん座り込んできて、はじき出されてしまいます。驚いたのは、列車が走りながらも人が飛び乗ってくるので、誰かが客室に入ってくると同時に列車から落ちてしまう人が出てくることでした。

そのたびに「死んだ、死んだ」というような意味のことが話されていながらも、列車はお構いなしにどんどん先に進んでいくのです。私は12時間ほど列車に乗っていましたが、数人が落下して死亡したようでした。乗客たちはそうした光景を当たり前のように受け入れているようで、そのことにも大きなショックを受けました。

窓からは、電車に轢かれた死体がそのまま放置されているのが見えました。また別の日にはガンジス川で沐浴をしていたのですが、泥色の川から頭をあげてコトンと当たったものが、上流から流れてきた死体だったりもしました。文字通りの死が日常に同居していた光景。それが、インドで受けた衝撃でした。

チャイを飲まずしてガンジス川に来た意味なし

そしてガンジス川と言えば、もう1つ忘れられないことがあります。

インド巡礼の聖地と言われるガンジス川ですが、何も見えないほどの、泥のような茶色をしています。そこにいるチャイの売り子の男性から、こうけしかけられたのです。

太陽が最も高く上がっている時、そのエネルギーが最高潮に達する。いわばゴールデンタイムだ。その時間帯だけは、ガンジス川の水をそのまま沸かして作ったチャイを飲んでも大丈夫だ。

なぜならゴールデンタイムの間だけは、汚いガンジス川の水が聖なる水に変化するから。何より、そのチャイを飲まずしてガンジス川に来た意味がない。ここにいるみんな、ゴールデンタイムのチャイを飲むために来ているのだ、と。

死者と生者が同居する異様な空間の中で、私はその売り子の発言を何ひとつ疑いませんでした。死体が浮いている目の前のガンジス川の水を売り子が汲みました。そしてその水を沸かして作られたチャイを、私は何のためらいもなく飲んだのです。今であれば、絶対にできないでしょう。若気の至りなのか分かりません。

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