渋沢栄一は「定年後」に一体何をして過ごしたのか 77歳で完全に引退、社会事業や公共事業に専念

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現在、明治神宮内苑には、社殿を中心に72ヘクタールの広大な森林が広がっている。東京ドーム15個分にあたるこの森林は、驚くべきことに、何もないところに一から人工的につくり上げたものなのだ。

神宮の森は、林学者の本多静六が中心になって「天然更新」をキーワードに、人の手を離れて永遠に繁栄する森をイメージしてつくった。東京の気候に適した常緑広葉樹が植林されていったが、十万本が国民からの献納であった。

社殿と内苑の造営はちょうど大戦景気の最中で、物価が高騰したため、人件費が急増してしまった。そこで献木を募ったり、労働力については青年団に依存したりしたのである。そんな青年団の中心メンバー・田澤義鋪(よしはる)によれば、280近い青年団体から一日に1万5000人が神宮造営に奉仕したという。

1924年に完成した神宮外苑

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いっぽう外苑だが、関東大震災などもあって、大正13(1924)年にようやく完成したのだった。

神宮外苑といえば、銀杏並木で有名だ。並木路は青山通り沿いから真っすぐに軟式野球場の噴水まで延び、球場の先には聖徳記念絵画館がそびえ立つ。現在、外苑の銀杏は146本、樹齢は100年以上を数え、最大樹高24メートルに及ぶ。

この街路は、折下吉延博士によるもので、博士の工夫が隠されている。青山通りに近づくほど樹の背が高くなっているのだ。その差は最大7メートル。つまり、樹木を下り勾配に配置するという遠近法を用いて、路に奥行きと広がりを与え、見事な景観をつくりあげていたのだ。

河合 敦 歴史研究家

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かわい あつし / Atsushi Kawai

歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。1965年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆・監修のほか講演やテレビ出演も精力的にこなし、わかりやすく記憶に残る解説で熱く支持されている。著書に『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)、『歴史の勝者にはウラがある』(PHP文庫)、 『禁断の江戸史』(扶桑社新書)などがある。

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