定年後「幸せを感じる人」が60過ぎてやらないこと 和田秀樹さんが自身の60歳からの人生を考える

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人間というのは、どうしても自分を人と比べてしまう生き物です。会社生活を送ってきた人にとっては、会社のなかだけではなく家庭や隣人、地域社会といったさまざまな周囲の目が気になると思います。とくに男性は、出世や社会的地位が人生のモチベーションだという人も多いでしょうし、モチベーションとまでいわなくとも気にする人は多いと感じています。

現役時代はお金をはじめとする財産の多寡や学歴、地位の高さなどを他人と比較して、その優劣で幸せを感じることが多かったのではないでしょうか。ところが、高齢になればなるほど、そういったものからの幸せは感じられなくなるものです。

定年になれば、肩書や地位は手放さざるをえません。体力面でも現役時代のようにはいきません。収入が減れば自由に使えるお金も少なくなります……。そのような現実を目のあたりにしてもなお、若いころの自分や他人と比較しても幸せを感じることができるはずはなく、逆に不幸な気持ちのまま老年期を過ごしていくこととなってしまいます。

一方で、教育費や家のローンから解放されて、自由に使えるお金が増えたり、あるいは自由な時間が増えたり、会社など周囲との人間関係から解放されたりで、楽になった、これからは自分の好きなように生きられると思える、つまり定年後が幸せだと思う人も、わたしの知る限り、少なからずいます。

もちろん、どのようなことで幸せを感じるかは人それぞれですが、わたしが確信しているのは、本人が「わたしは幸せだ」と思っていれば、それが本当の幸せであり、どこかの誰それと比較したり世間の目を意識したり、若いころはこうだったなどといったことはいっさい関係なく、いま、自分は幸せかどうかということだけです。

自分の選択に自信をもつ

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わたしのように好き勝手にできるのは、才能があるから、運がいいからと思う人もいるかもしれませんが、けっしてそうではありません。30代で勤務医を辞めずにそのまま病院に居続けていたら、不満やストレスを抱えて病気になっていたかもしれませんし、いまのような幸せを感じることもなかったと思います。

いまあらためて思うのは、あのころの自分の選択は、間違っていなかったということです。自分が心地よい、幸せだなと思うことを選び続けてきた結果、いまもこうして本を出版したり、映画を撮ったり、好きなワインを飲んだり、ラーメンを食べたりすることができているのです。

やはり「幸せになる」のには、自分が幸せなことを体験していないと、なかなか感じることはできないと思います。

和田 秀樹 精神科医

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わだ ひでき / Hideki Wada

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、現在は和田秀樹こころと体のクリニック院長。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『80歳の壁』(幻冬舎新書)、『60歳からはやりたい放題』(扶桑社新書)、『老いたら好きに生きる』(毎日新聞出版)など著書多数。

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