「反戦」の弱い指導者から「領土解放戦争」の象徴へ ゼレンスキー大統領の変貌とウクライナの課題

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出馬前のインタビューで、ゼレンスキーは、ロシアが占領する領土に関し、「人命最優先」とし、軍事オプションは「即却下する」と述べ、「誰も死なせないために……まず攻撃をやめる」ことが必要であると強調した。プーチンとの具体的な交渉方針について聞かれたゼレンスキーは、双方が要求を提示すれば、「その中間あたりで落としどころがみつかる」と答えた。

大人気ドラマで大統領役を演じたゼレンスキーは、汚職撲滅を訴え、5年目に突入した東部の紛争に疲れ、ロシアへの親近感を取り戻しつつあった有権者を取り込み、73%の圧倒的得票率で当選した。

一方、「軍、言語、信仰」をスローガンにプーチンとの対峙姿勢を明確にした現職ペトロ・ポロシェンコ大統領は得票率24%で敗れた。続いて行われた議会選では、ゼレンスキー人気にあやかる政党「国民の僕(しもべ)」がウクライナ史上初の過半数議席を獲得し、有象無象の新人を議会に送り込んだ。

ゼレンスキーの仇敵は、プーチンではなく、戦争の「血で金儲けする」とゼレンスキーが思い込むポロシェンコ政権だった。ゼレンスキーは、ポロシェンコの選挙スローガンを「軍で横領し、言語で人々を分断し、あなたへの信仰をなくすことか」と嘲笑った。

プーチンはゼレンスキーを交渉に誘い込んだ

ゼレンスキーは、自軍の兵士の損失を受け入れられない弱い最高司令官であった。毎朝の参謀本部からの報告で前日の犠牲者が「ゼロ」でない日は心を痛めると自ら語った。プーチンにとってこれほど御しやすい相手はいなかった。

ドンバスの停戦ラインの戦況をエスカレートさせ、ウクライナ兵の犠牲が増えれば、ゼレンスキーは心理的に耐え切れなくなり、プーチンに電話をかけてくる。プーチンは、前任のポロシェンコとは会談すら不可能であった、とゼレンスキーに語りかけ、交渉に誘い込んだ。

ゼレンスキーは、「互いの目を見て真剣に話して戦争を終わらせる」という信念の下、プーチンとの直接交渉を最優先に模索し、ロシアを名指しする批判をことさらに避けた。2019年9月のロシアとの捕虜交換の「成功」に高揚したゼレンスキーは、譲歩を重ね、12月にパリでノルマンディー・フォーマット(独仏宇露)首脳会談に漕ぎつけた。

しかし、主権と領土一体性を固守せねばならないウクライナと、「ドンバス自治」と婉曲的に表現しながら実質的にウクライナの主権制限を追求するプーチンとの間で、「中間の落としどころ」は見つかるはずはなかった。

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