「もうしゃべれなくなっていた母の、『ありがとう』が聞こえた気がしました。すると、約4年間の介護中の母への不満や苛立ちなどが一瞬で色あせて、それらがちーっぽけなものに思えるほど、とてつもなく大きな愛でした」
娘の両腕の中で母親は息もたえだえなのに、なぜか同時に、娘は母親の大きな愛に抱きすくめられていると体感していた。
「私たち姉妹への愛情表現が苦手な人で、それゆえに母親への不満も多かったんです。お世辞にも仲のいい母娘ではなかった関係が、その一瞬で修復されて、まずは『○(まる)』になりました」(板倉)
嫌な記憶もいい記憶も全部ひっくるめて、それが母親の生き方だったんだとありのままを受け入れられると、新たな感覚が生まれたと続けた。
「なぜか娘である自分のことも全肯定できたんです。過去のことも介護のことでも、『あーすれば良かった』も、『こうしておけば良かった』も一切ない。そう思えると、今度は母との関係がさらに『◎(二重丸)』になりました。もう『感動』をこえて、『歓喜』というしかない心境でしたね」
見返りを求めない母の愛に気づき、板倉にも同じものが母親に芽生えたとき、あらゆるものを肯定できたのだろう。
取材時は、母親の旅立ちから約3カ月が過ぎていた。だが板倉は昨日のことのように新鮮な光景として自分の心に息づいている、とほがらかに語った。
「だから少しも寂しくないんですよ。自分がすごいパワーアップしているのを日々感じられています。なんかすごく元気だもん!」
食事を中断して「ばあば」に触れた女の子
藤原が到着したのが、母親が他界して約6時間後。他の看取り士が代わりに対応していた。藤原が母親の手に触れると想像以上の温かさだった。
「(旅立った人の)背中が温かいとか、熱いという話を読んだり、聞いたりしたことはありました。でも、その手が本当に温かくて、最初の面会で私の手を握ってくださったときと同じくらいだったので、びっくりしました」
藤原の少し前に到着したという板倉の長男に、看取りの作法をすすめると、素直にやってくれた。看取り士が勧める、自身の左股に祖母の頭をのせて抱きしめるやり方だ。長男は「昔は近くに住んでいて、自分が一番、おばあちゃんにはかわいがってもらったと思います」と話し、昔を懐かしんだ。
やがて夕食どきになり、出前のラーメンや焼きそばなどが隣室に届けられ、その匂いが看取りの部屋にも忍び込んできた。
藤原が長男の4歳になる娘に、「大きいおばあちゃん、温かいよ。触れてみようか?」と声をかけると、隣室での食事の手を止めて近くに来て、「ばあば」と言いながら、小さな右手でその顔に触れてくれた。
昔は当たり前だった自宅での看取りも、きっとこんなふうだったんだろうなと藤原は一人想いをはせた。
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