「かまいたち」で浮上、島根ローカル局の独自戦略 地域ビジネスに取り組む「さんいん中央テレビ」
ローカル局の人が「キー局になる」と例えとしてでも言うのを初めて聞いた。川上に立とうという精神も、若き社長と共有していることらしい。ぜひ社長にも取材したいと思い、さんいん中央テレビの社長、第25代田部(たなべ)長右衛門氏と、東京の青山のマンションでお会いした。東京と島根に、月に半分ずつ居るそうだ。現在43歳と若いが、貫禄十分で社長の肩書に違和感はない。
田部家はたたら製鉄を1460年に始めた。そこから数えて25代目が現在の田部長右衛門氏。田部家を継いだ者は代々長右衛門を名乗る習わしだ。製鉄は大正時代に終わってしまい、田部氏の祖父、23代長右衛門氏は多角化を図り島根の新聞社を買収。父親の24代長右衛門氏が当時島根県になかったテレビ局を1970年に開局した。
1999年に先代が急逝。別の人間がテレビ局を継ぎ、田部氏は2002年にフジテレビに入社。報道記者として鍛錬を積む。2010年に島根に戻り、当初は取締役だったが、2016年に満を持して社長に就任した。
人を大事にする経営理念を打ち出した
跡継ぎの殿様として迎えられそれまでの役員陣がははーとひれ伏す姿を想像するが、まったくそうではなかったそうだ。
「私が帰ってきた頃のさんいん中央テレビは、柔軟性がなくなっていました。制度面でも問題あると思えるものが残っていた」(田部氏)
そこで人を大事にする経営理念を打ち出し、社員も大切にと次々に改革を行った。
「まず、給与改革。手当類を思い切って拡充していきました。子供手当は、3人いると月5万円、4人産まれたら月8万円」(田部氏)
全体的に給料を上げ、コロナになっても下げなかった。
「そんなに上げたら赤字になりますと言う者もいました。赤字にしてはいけないけれども、社員と社員の家族にきちっとお給料を払ってることを、後ろめたく思う必要はない。だったらそれ以上稼げばいいじゃないかと」(田部氏)
川中氏の話にあった通り、下から上がってきた企画は必ずやらせることにした。
「300万円かかる企画が通ったら、本人だって頑張るから200万ぐらいは稼いでくる。たった100万でやる気やモチベーションが担保されるなら、やらせたほうがいいという考え方です」(田部氏)
社長に就任した当初は古参の役員たちに反対されることも多かった。田部社長のある提案に役員たちが猛反対し、怒号が飛び交う大喧嘩になったこともある。
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