コンサル企業「経営戦略→業務請負」になった背景 コンサル「中の人」が語る事業転換していく経緯

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そもそも、外資系コンサルティングファームとして、マッキンゼーの名前が日本で一般的に知られるようになったのは1990年代のことです。それまではこうした企業は、日本に進出したはいいが、ずっと収益性は悪かったと、日本のBCG社長を務めた堀紘一氏もその著書の中で語っています。

大企業の社長案件、経営戦略案件を扱っていたため、1案件あたりの料金はたとえ億単位だったとしても、そういう案件は多くはないし、あったところで、人員の制約から受けられませんでしたから。また、案件が安定して受注できないので、ファームとして高額のコンサルタントを多くは抱えられないという事情もありました。

当時は人材が限られていたことからコンサルタントも受注したプロジェクトに順番にアサインされ、結果として、自動車の次は、通信、その次は消費財と、同じメンバーが、さまざまな業界の案件に、順に取り組んでいきました。

量より質を追求していた「コンサル1.0」

自然と支援の内容は個別業務ではなく経営戦略が多くなりました。高額なフィーをとるけれど、経営陣と一緒になって、圧倒的な価値を生み出す、それがファームの使命であり、存在理由でした。これが、日本におけるコンサル創生期のころ。いわば「コンサル1.0」の時代です。量より質を追求していた時代だったと言えます。

中村健太郎氏
フィールド・マネジメント・ストラテジーCEOの中村氏(写真:筆者提供)

それが、2000年代後半に、コンサル業界に激震が走りました。アクセンチュアを筆頭に、コンサルティングファームが規模を追うことを志向し始めたのです。規模を拡大することによっていっそうクオリティ(=質)を上げることができる、というのが表向きの理由でした。

実際、10人ではなく、100人いれば、5人1チームでも、20の案件を同時に受けられます。すると、同じチームが次々に違う業界の仕事をこなす必要は減り、君は自動車、君は通信と、案件を業界ごとに割り振っていけます。たとえば、Sさんは、通信の仕事ばかりやるので、どんどん通信業のプロになっていく。結果、クライアントに対するアウトプットのクオリティもどんどん上がっていく、というわけです。

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