しかし、経済学部の初年度の学生でも、授業(「講義」というほど大げさなものではあるまい)に出ている者なら、以下のように賛成してくれるのではないか。
「そもそも電気料金が上がるのは、エネルギー価格が高騰しているからで、それはエネルギーの希少性が高まっているからで、価格はそのシグナルです。自然に形成される価格を尊重して、電気を含むエネルギー消費を節約することが経済の効率を改善するはずです」
さらに、こうも言ってくれるかもしれない。「政府が価格に介入するのは非効率のもとです。電気料金が上がって生活が苦しくなる困窮者には、所得を補助するような減税なり、給付金なりを与えるのがいい。これが、経済学的には常識ではないでしょうか」
政府の電気料金補助の方法は間違っている
すべて、学生の言うとおりだろう。経済評論オヤジも意見を付け加えよう。高い価格を用いてエネルギー消費の節約を後押しすることは、近年SDGs(持続可能な開発目標)やGX(グリーントランスフォーメーション)といった言葉で大騒ぎしていた環境問題の解決に沿う行動ではないか。「環境」は一体どうなったのか。
また、庶民のアパートよりも、富裕層の豪邸のほうが何倍も電気を使っているはずだ。1世帯当たりの電気料金に対する政府の補助の絶対額は、富裕層に対するもののほうが、庶民に対するものよりも圧倒的に多い。これは、分配や公的補助のあり方としておかしくないか。
経済学者からこの種の意見がほとんど出てこないのは不思議だ。「言っても無駄だし、ウケが悪いから、言うだけ無駄だ」と、それこそ経済的な意思決定を下しているのか。あるいは、政府に批判を向けると、審議会の有識者として呼ばれなくなるからか。後者は、研究の能力や意欲を失った学者にとってはそれなりに痛手だ。
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