ドラッカーが「最高の未来学者」と評される所以 チャーチル首相も絶賛した「歴史を読む力」
白川:そういうお話と関連するのですが、ドラッカーというのは、いったんその本の魅力がわかると、「ドラッカーはすばらしい」となるけれども、そうじゃない人からすると、かつての私のように食わず嫌いで、軽薄な本だと思うわけです。私の偏見かもしれませんが、その傾向がとくに強いのは経済学者、エコノミストであるように思います。
小島さんがおっしゃったように、ドラッカーの本にはたくさんのレファレンスがあるわけではないし、たくさんの脚注があるわけでもない。それがある種象徴しているのですが、経済学というのは1つの理論モデルがあるわけです。その演繹的な操作である理論モデルがあるけれども、ドラッカーの本にはそうしたものがない。
読んですっと頭に入る部分もあるけど、なかなか頭に入りにくいところがある。そのせいか、経済学的なトレーニングを積んだ人はドラッカーの世界に入っていきづらい。このギャップは不幸な状況です。こう言うと身も蓋もないのですが、ある程度人生経験、社会経験を積まないとドラッカーのよさってやっぱりわかりにくいのだと思います。
未来予測の基本は人口動態
白川:たとえば、『見えざる革命』を初めて読んだのは新訳版が出て間もなくでしたが、そのとき面白かったのはファンドの話でした。実はアメリカではもう裏口から社会主義が実現しているのだという切り口で、これはすばらしいと感激しました。ところが、後半に書いている人口問題のもつ社会へのインパクトの部分は、実は感動した覚えがない。
今回、何十年かぶりに読み返してみて、当時なぜそこに自分が反応しなかったのか不思議なんです。僕は今、人口の問題というのは本当に大事なんだといつも強調しているのですが、当時は全然反応しなかった。それは自分の認識の甘さと言えばそれまでですが、やはり人間はいろいろなことに遭遇して経験を積まないと、そういうものの見方ってなかなかできないんですよね。
田中:経済学者がドラッカーを評価しない傾向については、経営学者も同様です。ドラッカーは「マネジメントは伝統的な意味におけるリベラルアーツでなければならない」とあるところに書いています。しかし、たとえば、最近話題になっている経営書の目次を見て「ドラッカー」を探しましたが、一語も出てこない。経営学者もドラッカーを経営学の範疇には入れていないんだなと感じました。
白川:そう。著者はその本のどこかで、「自分はドラッカーなどは扱っていない」というふうなことを書いていますよね。経営学者の間にもそういうとらえ方があるんですよね。