東京丸の内駅舎は、なぜ超高層化を免れたか 幻の「東京駅超高層化計画」と「NHKタワー」

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霞が関ビルと東京駅超高層化計画の中心にいた人物が、建築構造学の泰斗、武藤清である。武藤が耐震設計の道を志したのは20歳の時。関東大震災で建物が倒壊し、灰燼(かいじん)に帰した東京を目の当たりにしたことがきっかけだった。その後、耐震設計の第一人者となった武藤は、東京駅超高層化計画の検討を依頼された。当時、地震国日本で、超高層ビルは不可能と言われていた。

しかし、武藤らは、地震で倒壊した記録が残っていない五重塔の構造に着目。あえて建物を揺らすことで地震の揺れを吸収する「柔構造」で超高層化が可能であることを確かめ、その技術を霞が関ビルで開花させた。霞が関ビルが竣工した1968年は、日本のGNPが西ドイツを抜き世界2位になった年。このビルは超高層時代の礎となったばかりでなく、驚異的な経済成長を遂げる日本のシンボルともなった。

NHKタワー vs. 正力タワー

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霞が関ビル完成の翌年、武藤はNHKから高さ600メートル級のテレビ塔の設計を依頼された。すでに東京タワーが存在していたが、国が示したテレビ電波のUHFへの移行方針で、関東一円に電波を送信するためには600メートル級のタワーが必要とされていた。当時、日本テレビが550メートルの正力タワーの建設を計画していたため、NHKと日本テレビはタワーを巡って対立していく(この経緯については、拙著『高層建築物の世界史』(講談社現代新書)で触れている)。

正力タワー計画は自然消滅したものの、NHKタワーはその実現に向けて着々と準備が進められた。武藤清率いる武藤構造力学研究所が設計を進め、1971年、地上488メートルの位置に展望台を持つ610メートルのタワー案が固まった。場所は、NHK放送センターに隣接する代々木公園。モスクワのオスタンキノ・タワー(537メートル)を優に超える世界一の自立式タワーであった。

「この塔はただ単に世界で最も高いだけではなく、最も美しいものであってほしい」。武藤らはタワー計画の報告書にこう記した。巨大なタワーは東京のスカイラインを一変させることから、「視覚的な公共性」を備えるべきと彼らは考えたのである。タワーには、武藤らの高い志が込められていた。

しかし、タワー建設の旗振り役だった前田義徳NHK会長の退任とともに計画は消滅。衛星通信技術の開発に伴うUHF化計画の立ち消えや、当時の都知事、美濃部亮吉が代々木公園の利用を許可しなかったことも背景にあったとされる。その後、2012年に、高さ634メートルの東京スカイツリーが完成した。当初予定の610メートルは、まさにNHKタワーと同じ。場所も形も作り手も異なるが、40年の時を経てNHKタワーが実現したかのようだ。

東京駅超高層化計画は霞が関ビル、NHKタワーは東京スカイツリーへと形を変えて、東京の空に屹立している。東京のスカイラインには、焼け野原の東京に立ち、地震で倒れない建物づくりを誓った、若き日の武藤清の想いが刻まれているのである。

講談社『本』5月号より)

大澤 昭彦 高崎経済大学准教授、都市計画学
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