「生きがい」「おひとりさま」賛美への強烈な違和感 75歳エッセイスト「生きがい考えたことない」

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何回も服役を繰り返す受刑者については、自身が現在無期懲役刑に服している美達大和氏のこのような考察がある。

受刑者たちの七割は無職で、住むところもない。日々の食事にも不自由し、まともな友人・知人もすくない。ところが「そうした人が服役すると、たちどころに貧困・欠乏・孤立からの自由を享受することができるのです」。

(したがって)こうした人たちは自由に対する期待値、渇望度が低く、刑務所で暮らすこと自体に心理的抵抗も全くありません。その大半が受動的な生き方であり、刑務所内で職員に指示されることに対しても抵抗感がないどころか、自己判断をせずに気楽に生活できることを好んでいるのです。(『獄中の思索者』中央公論新社、2022)

十代の頃から少年院や刑務所などでの生活をしてきたものは、「塀の内と外にかかわらず、自由というものへの欲求が高くないのです」。これはまさに目からうろこの指摘だった。「自由というものへの欲求が高くない」人間がいるとは思わなかったのである。

わたしは現在、生活上の些事において不自由を感じることはない。したがって、自由を享受していながら、自由のありがたさを感じることもない。

「ひとり」は威張ることではない

わたしは「ひとりであること」を好む。複数でいるよりも、やはりひとりのほうが自由度は高いからだ。

無敵の老後
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だがわたしは天涯孤独、ただのひとりの縁者も知人もないという状態ではない。だから「ひとりであること」がなにより正しい生き方だというつもりはない。友だちがひとりもいない、ということを得々として語る者も増えてきた。しかしそんなことは別段威張ることではない。友だちは百人いるよ、という者もあほだが。

わたしは一般的にいって、集団よりもひとりでいることが好きである。しかし気心の知れた集団まで忌避することはない。世間的価値に首までずぶずぶに浸かっている気持ちの悪い集団がいやなだけだ。

わたしは完全にひとりではないし、ひとりの友だちもいないわけではない。しかし会うことが愉しくないような友だちは、思い切って意図的につきあいをやめるようにしてきた。それはわたしの狭量のせいかもしれない。

しかしどう頑張ってみても、清濁併せ呑むことができない性格だとわかった以上、それはしかたのないことである。だから「ひとりであること」も「友だちが少ないこと」もあまり賛美はしない。

勢古 浩爾 エッセイスト

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せこ こうじ / Koji Seko

1947年大分県生まれ。洋書輸入会社に34年間勤務ののち、2006年末に退職。市井の人間が生きていくなかで本当に意味のある言葉、心の芯に響く言葉を思考し、静かに表現し続けている。著書に『結論で読む人生論』(草思社)、『自分をつくるための読書術』『最後の吉本隆明』(ともに筑摩書房)、『まれに見るバカ』(洋泉社)、『人生の正解』(幻冬舎)、『定年バカ』(SBクリエイティブ)、『自分がおじいさんになるということ』(草思社)など。

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