当時18歳、上京したてのアイドルから「探さないでください」とLINEが来る。このエピソードだけで、どれだけ彩瀬が傷ついていたかは想像に難くない。
そしてついには母体であった事務所が、アイドル事業からの撤退を発表。強制的に活動休止を余儀なくされた。
その後、先述の冠野氏が楽曲を引き継ぎ、現TJを結成。
翌2015年4月には彩瀬も新生TJのメンバーとして、冠野氏の事務所へ移籍することになる。
「正直、その直前まではアイドルは辞めようと思って……。何も考えずにバイトしていました。でも、『このままじゃ、福岡に帰れない』っていうのもあって。正直どうすればいいかわからなかったです」
「止まっていても仕方ない、動こう!」という冠野氏の説得と呼びかけに呼応し、一時は塞ぎ込んだものの、再びアイドルへの情熱を取り戻すことになる。
同年7月、活動場所を現在のTJへ移し、彩瀬は「アイドル戦国時代」と呼ばれる場所に再び飛び込んでいく。
再び返り咲いたステージ
多くのアイドルがデビューしては夢半ばで消えていく。この頃のアイドルは、みな大きな会場でのライブを目標にしていたと言っていいだろう。
しかし、TJ結成当初から、冠野氏のビジョンにも武道館はなかった。
「自分はメジャーアーティストの仕事をしてきているので、(ライブアイドルが)同じ土俵じゃ戦えないことを知っています。だから自分たちのやり方で勝負します。そしてまずはアイドルとして自立すること。アイドル活動での収入で生活できることを常に言ってきました」
この考えが彩瀬には驚くほどフィットした。そして彩瀬はそれを実践した。「会場の大きさ」や「フロアにいる客数」ではなく、「目の前のファンを大切にしていくこと」に重きを置いた。
福岡の人気ご当地アイドルとして400人以上のオーディションを勝ち抜き、専用劇場で多くのファンの前でデビューを果たした彩瀬は、気がつけば渋谷、新宿、秋葉原など大小問わずライブハウスをメインに活動するアイドルとなっていた。
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