その後、30歳を過ぎて三島由紀夫は筋トレに目覚める。体を鍛え、ボディビルにハマり始めたのは、大人になって小説を書き始めてからずっと後なのだ。
つまり、三島は元来の自分の性質である、己の弱さを恥じていた。生まれながらの華奢さ、病弱さを自覚していた。が、それらの弱さを、自ら克服していったのだ。筋トレして、そして若い頃入隊できなかった軍隊にも――戦後の自衛隊に――大人になってから入ることになる。それは自分の弱さの克服だったはずなのだ。
そのとき、太宰のように、己の弱さをそのまま小説という形で表現し、世間に公表し、そして人気を博している作家を見たら。そりゃ、嫌いになるよなあ、と苦笑してしまう。
つまり、太宰に三島は自己嫌悪を見ていたのではないだろうか。そして抑圧した嫌いな自分をそこに投影し、余計に「いや小説で垂れ流すんじゃなくて、自分を鍛えて、弱さを克服しようとしろよ!」と思ったのだろう。
だから三島は『治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない』と書いたのだ。三島にとって、治りたがる、つまり自分の病を克服しようとする姿こそ自分のアイデンティティだったのだから。
「日本社会が求める男性像」に対する屈折した思い
何ともわかり合えない三島と太宰だが、その根っこは同じところにあったのだろう。日本社会が求める男性性のあり方に、沿えない自分。体を鍛え、痛みを無視し、黙っていたままの男性性に、三島も太宰もおそらくなじめなかった。
そして三島はそのなじめない痛みを告白しながらも、何とか克服したがった。おそらく最期までしたがったのではないだろうか。逆に、太宰は、なじめない痛みをそのまま小説に描いた。そして女性に吐露した。そして自殺未遂を図った。
ちなみに三島に「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と言われた太宰は、「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と笑ったらしい(『私の遍歴時代』)。何とも、三島と太宰の性格の違いがわかるエピソードではないだろうか。
『仮面の告白』(三島由紀夫)と『人間失格』(太宰治)という、2人のそれぞれの自伝的小説を読むと、どちらも結局は「日本社会が求める男性像」に対してきわめて屈折した思いを抱いていたことがよくわかる。だからこそ、三島は太宰のことを嫌悪したのだろう。それは同族嫌悪であり、同時に、抑圧した自分の弱さを見る行為だったからなのだ。
(文中敬称略)
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