栗山監督が口を出すより判断に専念する納得理由 自分本位と気づかぬままコーチの職域を侵す懸念

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基礎と応用の境界線は、時代に応じて変わっていくものでもあります。20世紀と21世紀では、プロ野球もビジネスも変わっていて、基礎の部分もアップデートしていく必要はあるでしょう。

監督になってからの私は、もう一歩進んで「正しい」ことに疑問を持ち始めています。正しいと言われていることほど、実は正しくないのかもしれない。反対意見が多いもののほうが、違った解決策として有効かもしれない。正しいことを知りたくて勉強をしてきましたが、2019年現在の私は、何が正しいのかを知るためではなく「もっといい方法はないのかな」というスタンスで学ぶようにしています。

自分を見失いがちなときに思い返す言葉

プロ野球は強者が集まる世界です。強者とは文字どおり「強い者」であり、「つわもの」でもある。大打者の、名投手の意見には重みがあり、聞き手を従わせる強さがあります。

ただ、それがすべての選手に当てはまるかと言えば、必ずしもそうではない。

江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉は「松のことは松に習え。竹のことは竹に習え」と言っています。知ったかぶりをしてはいけない、ということなのでしょう。自分を見失いがちなとき、決断に迷うとき、チームの結果が出ていないとき、私は荻生徂徠の言葉を思い返します。

深沈厚重(しんちんこうじゅう)

中国の儒学者である呂新吾が、名著『呻吟語』で語っています。頭が切れて雄弁であるよりも、無口でどっしりと落ち着いている人のほうがいい、と。

日本人の男性の評価として、古くから当てはまる人物像ではないでしょうか。私自身は無口でいられるタイプではないので、かなりかけ離れていますが……。

自分の評価、評判、噂などを気にすると、人間は集中力を欠いてしまいます。プロ野球選手ならば、メディアの批判に一喜一憂する選手は、プレーに波があります。自分の進むべき道を、ひたむきに真っ直ぐ歩いている選手が成功をつかんでいる。

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