「重要文化財の重要とは?」藤田嗣治は指定なし 東京国立近代美術館で重要文化財を一斉展示

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由一の「鮭」が西洋的な手法による写実性追究の一つのメルクマールとなりえた成果だとすれば、大正時代に入って岸田劉生(1891〜1929年)が描いた「道路と土手と塀(切通之写生)」は、近代絵画が志向した写実性の極致といえる作品である。

岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年、東京国立近代美術館蔵、通期展示)展示風景(撮影:小川敦生)

この作品は、写真ではなく実物を見ないと凄さがわかりづらい絵画の一つである。劉生が住んでいた東京・代々木近辺の切通を描いたと伝えられているが、ぱっと見にはただの坂道だ。一方で、劉生は「写実」を追求した画家だとしばしば言われる。この絵はその根拠となる「重要」な一枚である。

まず、都市開発のさなかにあった当時の代々木の、未舗装ゆえに画面の大部を占める土が、あまりにもリアルである。この絵を見ると、油絵具が内包している表現力を思い知ることにもなるのだ。言われなければ気づきにくいのだが、手前に近代文化を象徴する電柱の影が描かれており、臨場感を支えている。

ミケランジェロの彫刻さながらの描写

時代を少しさかのぼって、和田三造の「南風」についても紹介しておきたい。

和田三造「南風」(1907年、東京国立近代美術館蔵、通期展示)展示風景(撮影:小川敦生)

和田三造(1883〜1967年)については、おそらくこの絵以外はあまり知られていない。しかし、明治末に描かれたこの一枚は、高橋由一から岸田劉生につながる西洋の写実表現の系譜上で、二人とは異なる面を象徴する作品としての価値を持つ。

この絵には、迫真性がある。そこには、1902年に伊豆大島に向かうために乗った郵便連絡船が難破し、3日間漂流したという和田自身の経験のもとに描かれたことが、大きく寄与しているようだ。

作品として特に興味深いのは、漂流しているにもかかわらず、描かれた人物たちに戸惑いや失望の様子が見られないことである。むしろ彼らは気丈で、堂々と海を渡っているように見える。特に真ん中で立っている上半身裸体の男は、まるでミケランジェロの彫刻「ダヴィデ像」のような力強いポーズで立っており、筋骨隆々の体躯を見せている。そこには、写実的な表現ながらも、海に立ち向かうような物語を内包させようという画家の意志が認められる。

和田の「南風」は以前からよく知られている作品だが、重要文化財に指定されたのは意外と新しく、2018年だった。図録に掲載された解説によると、「描かれた勇ましい日本人の姿およびそこに反映された青年作家の意気込みを評価する風潮に、当時の『日露戦勝後の高揚した国民感情』を読み取ることができる点」と、様式上の「文化史的な価値」が評価されたのが指定の理由という。ほかの作品にも言えることだが、重要文化財に指定する時点における歴史観が大きく物を言っているわけだ。

藤田嗣治や佐伯祐三にはいまだに指定がない

重要文化財に指定された作品は、国のお墨付きが付与されるということもあって注目度が増す。一方で、明治以降の美術分野で国際的に高く評価されている藤田嗣治(レオナール・フジタ)や本格的な回顧展が開かれて話題になっている佐伯祐三の作品にまだ重要文化財が存在していないことなどを指摘する関係者もいる。

指定には研究や作品保護を進める側面もあり、意義は大きい。文化財保護法の施行から70年以上が経ち、作品を見る価値観が変容する中でどんな作品が今後指定されるのか。楽しみにしつつ、推移を見守っていきたい。

小川 敦生 多摩美術大学教授

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おがわ・あつお / Atsuo Ogawa

1959年生。東大文学部美術史科卒。日経BPの音楽、美術分野記者、『日経アート』誌編集長、日経新聞文化部美術担当記者などを経て、2012年から現職。近著に『美術の経済』。

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