「重要文化財の重要とは?」藤田嗣治は指定なし 東京国立近代美術館で重要文化財を一斉展示
この作品は芳崖が没する前年に描かれたものだ。本展図録の作品解説によると、この作品には「西洋の絵具が一部取り入れられているようである」という。そうしたことからも、芳崖が相当熱心な西洋美術の研究家だったことがわかる。
1955年にこの作品と一緒に重要文化財に指定されたのは、狩野芳崖《悲母観音》(1888年、東京藝術大学蔵、展示期間:4月25日〜5月8日)、橋本雅邦《白雲紅樹》(1890年、東京藝術大学蔵、展示期間:4月4日〜4月23日)、橋本雅邦《龍虎図屏風》(1895年、静嘉堂文庫美術館蔵、本展不出品)。わずか2人の日本画家の作品だったのだ。
ともに、江戸時代の御用絵師狩野派の流れを汲んだ伝統的な技法を用いながら、明治初期に西洋の描き方を取り入れた革新派だった。芳崖は東京美術学校の教授就任が決まっていたが就任直前に没する。雅邦は同校開校時から日本画科の教授として横山大観や菱田春草を指導した。芳崖と雅邦は、日本の絵画のあり方を変え、次の世代につないだ画家だったゆえ、作品が明治以降初の重要文化財となったのだ。
ソフトな色調で悲しみを表した菱田春草
明治以降の日本画の世界に初めて衝撃を与えるような「革新」をもたらしたのは、菱田春草(1874〜1911年)である。「王昭君図」は、輪郭などの線を重視していたそれまでの日本絵画から春草が線を捨て去って間もない時期に描いた一枚だ。
重要文化財に指定されたのは、1982年。春草の作品としては「落葉」(1909年、永青文庫蔵、熊本県立美術館寄託、本展不出品)と「黒き猫」(1910年、永青文庫蔵、熊本県立美術館寄託、展示期間:5月9日〜5月14日)がともに1956年に重要文化財に指定されており、極めて重要な画家と早くから位置づけられていたことがわかる。ただしこの2作品はともに晩年の制作だ。「王昭君図」は、若き春草の冒険意欲が表れた絵画であり、そこに評価が向いたと考えると、「黒き猫」などとは別の興味が湧いてくる。
横幅が3.7メートルと、大作の部類に属するこの絵は、「悲しみ」を表現している。理不尽な理由から王昭君という美しい女性が侵攻してきた敵に差し出されるという古代中国の物語があり、泣いている侍女の様子も描かれているのだが、春草はかなりソフトな色調で穏やかに描いている。
最大の特徴は、人物の輪郭を表す墨線がないことだ。画題自体は中国の話だが、墨で描いた輪郭がないのも、画面右側でたくさんの女性たちを重ねて描くことで奥行きを表現しているのも、西洋の描写法に近い。
一方で、白が輪郭線のようなあしらいになっている部分もあり、さまざまなトライをしていたことがわかる。近年の研究では、一部に西洋の絵具が使われていることもわかったという。この時期の春草は、西洋の技法の咀嚼と独自の応用に極めて意欲的だった。その意欲が、こうした幻想的な世界を登場させたのである。こうした進取の気性に富んだ制作の実践こそが、「重要」と判断される理由だったのだろう。
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