「重要文化財の重要とは?」藤田嗣治は指定なし 東京国立近代美術館で重要文化財を一斉展示

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横山大観(1868〜1958年)は春草よりも年上だったが、春草とともに日本画を開拓した同僚画家だった。37歳で夭折した春草が生きていた明治時代の間はむしろ、春草のほうが画法の革新をリードしていたと筆者はみている。そして本展に出品された大観の絵巻物「生々流転」は、春草が没した12年後の作品である。

横山大観「生々流転」(部分、1923年、東京国立近代美術館蔵、通期展示)展示風景(撮影:小川敦生)
横山大観「生々流転」(部分、1923年、東京国立近代美術館蔵、通期展示)展示風景(撮影:小川敦生)

長命だった大観は、この絵を描いた後、30年以上存命だったが、40.7メートルの全巻を開いた状態での展示を歩き見た筆者は、まるで大観の人生を眺め渡したような気持ちになった。墨一色で描いたこの絵巻が表しているのは、大観が到達した境地である。

輪郭線を使わず、ぼかしを巧みに使うことで湿潤な空気を表したこの表現は、春草とともに開拓した「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる技法で、当時の批評家からは批判されていた。しかし、朦朧体は素晴らしいと筆者は常々思ってきた。大観がこの作品で用いた墨の濃淡の使い方も、極めて絶妙である。さらにこの作品では、空気だけではなく、画家の心をも描き出しているようにも思えるのである。

高橋由一の「鮭」に画家の意欲を見る

明治に入って、西洋の油絵具を用いたいわゆる「洋画」も楽しんでみよう。

高橋由一「鮭」(1877年頃、東京藝術大学蔵、通期展示)展示風景(撮影:小川敦生)

高橋由一(1828〜1894年)の「鮭」を改めて見て思ったのは、画家の意欲がにじみ出ていることである。幕末から西洋の技法をものにしようと努力を続けていた由一がこの作品で描いたのは、ひもで吊るした新巻鮭(荒巻鮭)だった。日常的な贈答品と見られるが、「何の変哲もない」などといった言葉では表現できない何かがこの絵にはある。鮭の皮の微妙なひだ、えぐり取られて出ている赤身や骨の形、吊るしたひもと鮭の呆然としたような目などの描写に、西洋的な陰影法を尽くしているからだ。

そしてこの絵と向き合っていると、新巻鮭を見たときに「よし、これを絵に描いてやろう」と意気を高め、どうすれば西洋の絵具を使って本物に肉薄して描くことができるのかを探求した画家の姿が、眼前にくっきりと見えてくる。日常的な贈答品を描いた絵なのに、稀有な意欲を見て取ることができるのだ。

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