東大入学後に全員「教養学部」で学ぶ深い理由 「普遍的教養」の重要性を強調していた南原総長
彼は、19世紀の後半になって西欧では学問の専門分化が進み、分野ごとの独立性が増していったことを確認したうえで、明治以降の日本がそうした西洋文化をそのまま移入したために、「学問研究者が相互に共通のカルチュアやインテリジェンスでもって結ばれていない。おのおのの科学をほり下げて行くと共通の根にぶつからないで、各学科がみんなタコツボになっている」ことを指摘しました。
「知の総合化」の重要性を説く南原総長の式辞
丸山眞男は、それまでにも南原繁にたいして批判的な文章をいくつか書いており、両者の関係は、いわゆる「師弟」という言葉では単純に語ることのできない微妙な緊張をはらんでいましたが、それでも彼が日本の大学について「ユニヴァーシティという本来の意味からは甚だ遠いのが実状」と語っているのを見ると、こうした議論の根底に、南原の思想の影響が色濃く見られることは否定できないように思われます。
しばしば言われることですが、21世紀を迎えてすでに四半世紀近くが経過したいま、気候変動の問題、原子力発電の問題、そして近年世界を席巻した新型コロナウイルスの問題など、人類は特定の専門分野だけではおよそ対応することのできない複合的な危機に直面しています。
こうした状況を前にして、今ほど異なる学問同士の連携が求められている時代はありません。その意味で、「知の総合化」の重要性を説く南原総長の式辞は、まさに来るべき社会的課題を先取りするものであり、あらためて読み直される価値があるように思われます。
昨今話題になることの多い「リベラルアーツ」の概念も、当然この流れと直結するものとしてとらえることができるでしょう。
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