歩き方が「下手」な人に欠けている2つの能力 馴染み深い行為こそ、人生を左右する?
ぼくは、朝家を出てから仕事場に着くまでの間が、一日のうちで最も頭が冴えている。このとき、考えごとをしていることもあるのだが、歩いている人たちを観察することも多い。そうすると、歩き方というのは千差万別だというのが分かってくる。そうして、歩き方の上手い人と下手な人がいるというのも、よく分かってくるのだ。
この「歩き方の上手い下手」というのは、いろいろと考えをめぐらせるうちに、実はその人の人生に大きな影響を及ぼすのではないかと考えるようになった。そこで今回は、そのことについて書いてみたい。
「巧拙がある」という考えに思い至らない
まず、そもそも歩き方の下手な人は、歩き方に「上手い下手」があると思っていない。それは、「歩く」という行為が人間にとって最も基本的なものの一つであるからだ。最も身近で、最も馴染み深いものゆえ、なかなか「それに巧拙がある」という考えに思い至らないのだ。
これがたとえばゴルフだったら、上手い下手の存在は誰でも思い至るところだろう。あるいは、囲碁や将棋も同様だ。人は、そういう「誰もができるわけではなないこと」に関しては、上手い下手に目がいきやすい。
しかしながら、歩き方とか、あるいは日本語の使い方とか、そういうすべての人が一応はできることに関しては、その上手い下手の見分けがつきにくくなる。それゆえ、その上手い下手が、人生における大きな差異となって現れるのだ。
歩き方に「上手い下手」があると思い至らない人というのは、だいたい次の2つの能力が欠けている。
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