トヨタ「キャバリエ」日米貿易摩擦で生まれた悲運 日本では受け入れられず、2000年に姿を消した

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日米の間では、1980年代から自動車輸出に関わる貿易摩擦が生じていた。シボレーから初代キャバリエが誕生したように、排出ガス規制と低燃費化への要望がアメリカ市場で高まるなか、日本車が販売台数を伸ばし、アメリカ車市場を奪いはじめたため、均衡を求める声がアメリカの自動車業界内で高まったのである。

対策のひとつとして、アメリカへの工場進出による雇用創出が行われた。ホンダは、国内自動車メーカーとして最初にアメリカ・オハイオ州に工場を建設した。トヨタは、GMとの共同で合弁による工場を建設した。これがNUMMI(ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング・インコーポレーテッド)である。余談ながら、この工場はのちにテスラの生産工場となっている。

貿易摩擦の緩和策としてトヨタが日本で販売

ほかに、アメリカ車を日本でより多く販売するため、トヨタがGM車を売ることになり、1996年から、3代目のキャバリエの4ドアセダンと2ドアクーペを国内販売したのである。

2.4リッターの排気量で直列4気筒のガソリンエンジンを搭載した前輪駆動(FWD)のキャバリエは、3ナンバー車となるが、日本車と比べ、洗練さに欠けていた。それもそのはずで、アメリカでは、高級車や高性能車はV型8気筒エンジンであることが必須であり、次に上級車種であればV型6気筒エンジンであることが当然で、直列4気筒となれば、排気量のいかんを問わず廉価車種という扱いである。

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