さよならオデッセイ!時代を作った花形の終焉 ジャンルを確立するも25年で役割りを果たす
ホンダの人気のミニバンである「オデッセイ」が、生産終了となることが明らかになった。昨年11月に大規模なマイナーチェンジを実施したにもかかわらず、である。
主な理由は、オデッセイを生産していた狭山工場がなくなることだ。正確には狭山と寄居の2つの工場を、寄居に集約させることにある。
しかし、実質的には狭山工場の閉鎖であり、これにあわせて同工場で生産されていたオデッセイだけでなく「レジェンド」「クラリティ」も同様に生産終了となるようだ。とはいえ、同じ狭山工場で生産されていた「ステップワゴン」が継続されることを考えれば、オデッセイは、そのモデルライフを終えることになる。
ミニバンがない!ホンダの焦り
初代オデッセイが誕生したのは、1994年のこと。その誕生は、ホンダの焦りを感じさせるものであった。
そもそも1990年代以前のミニバンは、“ワンボックスカー”とも呼ばれており、商用バンの派生という印象が強かった。主流はトヨタの「ハイエース」や「タウンエース」、日産の「キャラバン」「バネット」などで、どれも商用バンを乗用車風に仕上げたものだったのだ。
しかし、1980年代には日産「プレーリー」や三菱自動車の「シャリオ」、マツダ「MPV」などが登場し、商用ではない“乗用ミニバン”というジャンルが生まれていた。そして1990年に、その流れを決定づける1台が誕生する。それがトヨタ「エスティマ」だ。
流麗なデザインを持つエスティマは、“天才タマゴ”のキャッチフレーズとともに大ヒット。1992年には5ナンバーサイズに車体を小型化した弟分「エスティマ・ルシーダ」を加え、翌1993年には年間新車販売ランキングで8位となるヒットモデルとなった。
ミニバンが販売ランキング上位に顔を出すなど、当時としては常識外れのこと。そうした流れに合わせるかのように、日産は1991年に「セレナ」(発売当初はバネットセレナ)をリリースする。1990年代に入って、にわかにミニバンへ熱い視線が集まるようになったのだ。
ところが、この状況に困ったのがホンダだ。当時のホンダには、ミニバンを作ることのできる生産ラインがなかったのだ。
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