「コオロギパン」社長ブログが正論だけに残念な訳 「社会課題の解決」は簡単に降ろしてはならない

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通常、「あたらしいもの」への反発は非科学的であったり、誤解に基づくものがほとんどだ。だが、今回のコオロギ食への批判には「鋭い」と思わせるものが多い。

安全性への懸念は確かに根強い。だが冷静に考えれば、企業の検査を通過し、合法的に販売されているのだから、有害物質の類が入っていないのは明らかだろう。有害物質が含まれているとわかっている食品を販売し続けるリスクをわざわざ犯す企業など、あるはずもないからだ。長期的に摂取し続けた際の影響はわからないが、少なくとも短期的には害はないと考えるのが妥当だ。

私が「なかなか説得力がある」と思った批判は、安全性に関するものではない。安全性を議論する以前に、「そもそも、本当にコオロギ食が必要なのか」という「素朴な問いかけ」だ。

「人口増加に備える」と言うが、日本最大の懸念材料が少子化であるのは、誰もが知っている。岸田総理が「異次元の少子化対策に挑戦する」と宣言するほどの深刻さだ。

「食料危機」も、日本に暮らしている限り、全くリアリティを感じない。農水省によると、日本で廃棄される食料は年間522万トン。SDGsの文脈で「食品ロスを削減すべし」と訴えながら、もう一方では「食料危機に備えよ」という。納得感が乏しいのは、当然だ。

「動物性たんぱく源の確保が必要」という説明にも、苦しいものがある。国は今月から生乳の生産抑制のため、乳牛の殺処分に対し1頭あたり15万円の助成金を出すことを決めた。たんぱく質は捨てざるをえないほど余っているのだ。

あまりに軽い「推進派」の広報対応

こうした一定の説得力を持つ批判に対し、「推進派」の広報対応はあまりに「軽い」。なかでも敷島製パンと協働でコオロギパンを生んだベンチャー企業・FUTURENAUTの社長ブログは特に「軽い」と言わざるをえない。

例えば、2月16日にアップされた「昆虫食陰謀論が広まる中思うこと『昆虫を食べることは僕にとって脱毛と同じだ』」という記事。この記事の中で社長は、「昆虫を食べたくない人」にとっての「昆虫を食べるという行為」は、自身にとっては「脱毛」のようなものだと例えている。どういうことか。以下、一部を引用する。

「昆虫を食べたくない人にとって、昆虫を食べるという行為は、私にとってなにか。そう考えたときに少ししっくりきたのが、『脱毛』でした。

これは私にとって、『脱毛』が抵抗感・忌避感があるということではありません。ただただ、私自身が、脱毛というビジネスのターゲットの外にいるという点です。

昆虫食を食べたくない人というのは、我々昆虫食事業者が設定しているターゲットの外にいるという点で似ています。我々のターゲットは当然、昆虫を食べてみたいという人が中心です」

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