六角精児60歳、「芝居に興味がなかった」末の今 「自分がどう見えるかなんて興味ないですから」

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── それは悪い子ですね(笑)。お母様の強めの教育に反抗したことなどはなかったんですか。

六角:中学生の頃までは割と大人しく言う通りにしていました。だからそのぐらいまでの時期はあまり印象に残らない日々でしたね。ただ、一生懸命に勉強をしていた時期があったから進学校(神奈川県立厚木高校)に入れたというのもありますし、そこでいろんな人間に出会っていますから、自分の人生の長い道のりの中に、あまり印象に残らない中学時代があったというのも、必要なことだったんだと思います。

と言っても高校では皆さんがとても優秀だったから、自分は正直、落ちこぼれていました。でも気にすることもなく、友達と一緒に音楽をやったりして楽しい日常を過ごしていた記憶があります。

(写真:平郡政宏)

「劇団扉座」へ

── その進学された高校で、現在も所属する「劇団扉座」主催の横内謙介さんと出会い、演劇を始めたんですよね?

六角:はい、横内さんと出会っていました。演劇部に入ってキャスティングもされていましたけど、正直、お芝居に興味はありませんでした。高校を卒業して浪人が決まった時に、劇団旗揚げ(のちの劇団扉座・善人会議の前身となるもの)に参加しないかと誘われたんですけど、その時も「先輩の言うことだし……」って気持ちでもあったのかなあ。積極的にではなかったですね。自分が好きだったのは音楽でしたから。

── バンド活動も高校時代からされていたとか。

六角:はい。そっちの方が好きでしたね。

── その後学習院大学に進学されたのですよね? ちょっとイメージと違うという気もしますが(笑)、どんな学生生活でしたか。

六角:学習院大学にはどんな人がいるんだろうという興味で入ったんですけど、きっと僕はどこの大学へ行っても同じでした。授業にはほとんど出てないですからね。学生という執行猶予を得て劇団をやっていたし、その立場を隠れ蓑にして、ただただ遊んでいましたから。

僕、6年大学に在籍していたんですよ。親が授業料を払ってくれていたから。親としては公務員とかちゃんとした堅い職業に就いてほしかったんでしょうから、申し訳なかったですが、もういいと自分で退学届を出しました。親はもちろんすごく怒ってましたね。

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