とはいえ、それでも世帯収入は増えている。結果として、「賃上げが急務」という議論と、「パワーカップルが1億円を超えるタワーマンションをペアローンで購入する」という議論が(やや違和感がある人が多いと思うが)同時に存在している。
なお、「名目・実質世帯収入」は、世帯の収支状況を示す統計である家計調査の「勤め先収入」(世帯人員調整済み)である。これは、「勤め先から報酬として受けた諸手当を含む一切の収入」と定義され、「世帯主」に加えて「世帯主の配偶者」と「他の世帯員」の収入も含まれる。
女性や高齢者などの労働参加が進んでいることにより、世帯全体では収入が伸びていることがわかる。
「社会保険料」や「直接税」の負担が増えていることも、家計の「ゆとり」を低下させる面もある。しかし、実質可処分所得をみても、世帯ベースでは増加傾向にある。実際に家計が自由に使えるお金も増加しているのである。
また、足元ではコロナ禍の影響もあって高水準の黒字率が続いており、いわゆる「強制貯蓄」が積み上がっている。収入額だけをみれば、収入が足りないので生活を切り詰める、もしくは貯蓄を取り崩す、という状況とは程遠い状況である。
「ゆとりがなくなってきた」という問題は収入不足に原因があるわけではないと結論付けることができるだろう。
共働き世帯が捻出する教育費
なぜ、世帯の可処分所得が増加しているのに「ゆとり」はなくなっているのか。可処分所得の増加は共働き世帯の増加(家計調査でいえば「世帯主の配偶者の収入」の増加)によってもたらされているという事実はあるのだが、その背景を探っていく必要がある。
1つ考えられるのが、可処分所得を増やすことの目的である消費対象が、いわゆる嗜好品的な生活の満足度を高めるものではない可能性である。例えば、光熱費などの支出が増える場合、生活の「ゆとり」は悪化する。また、こういった昔ながらの基礎的支出だけでなく、近年では「教育費」の増大なども家計を圧迫している。
「教育費」は総務省の家計調査では「選択的支出」(所得が増えたら増えやすい嗜好品的な品目)に分類されているが、家計によっては他の消費を切り詰めて「教育費」を捻出している例もあるだろう。社会的な空気によって新たな「基礎的支出」が増えているとすれば、人々の感覚的には「ゆとり」がなくなりやすい。
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