「すごいね」「そうなんだ」「へえ」とおざなりな相槌でその場を乗り切ることができるので、忙しい時に便利ではあります。場合によっては、相手を傷つけないように、あるいは自分自身が疲れている時に、聴いたふりをすることもあるでしょう。
子どもの場合は特に、「見て!」「聞いて!」と1日に何十回もくることがあり、大人側に時間的あるいは精神的な余裕がない時、おざなりリスナーが顔を出すことは仕方のないことです。
しかし、おざなりな反応は、聴いていないことが子どもに伝わってしまうほか、子どもが「上手」「すごい」といった外的評価に依存するようになる可能性もあるため[*8]、避けたい習慣です。
子ども:「これね、保育園で描いたんだよ。見て」
親:「へえ~」
子ども:「ねえ、上手?」
親:「うん、上手上手!」
子ども:「ここ、お花なの」
親:「すごいねえ。今忙しいから、あっちで遊んできてね」
おざなりな返答は、実際には子ども自身や子どもがやったことを見ていなくても可能です。「上手」「すごい」「なるほど」を連呼していれば盛り上げられるので、多用してしまうのが現実でしょう。しかし、ここは子どもの気持ちや作品に対して頑張ったことなどを共有するチャンス。いったん作業をやめて、「違う種類のお花をたくさん描いたんだね」と具体的な感想をシェアするほか、子どもがなにを伝えてくれるのかを楽しみに話に耳を傾けましょう。
自分が聞きたいことだけを選択的に聞いている
人には「確証バイアス」があります。私たちの意識は、これまでの自分の経験や信念と一致するような事柄に向かいやすいのが自然です。つまり人は、「決めつけ」を舵にして、自分が聞きたいことだけを選択的に聞いているのです。
決めつけリスナーとは、自分の決めつけをフィルターに話を聞く人で、自分の偏見を横に置いて、相手を理解するために心をこめて聴くアクティブリスニングと相反するものです。
この決めつけは、関係性が近いほど発生することがわかっています。例えば、友人やパートナーとペアを組んだ時と、見知らぬ人とペアを組んだ時を比べて、どのくらい相手のメッセージの理解度が変わるかを調べた研究があります[*6]。
その結果、親しい間柄ほど、見知らぬ相手よりも話し手の本意を理解できないことが多く、むしろ理解度が下がることが多かったのです。
これは、家族や子どもなど関係性が近い相手ほど、私たちは相手の言っていることがわかっているし、相手も私たちの言っていることがわかっていると思い込んでいるのが原因だと考えられます。
つまり、「あなたはこういう人間で、こう考えているのだろう」という決めつけが、相手のことを本当の意味で理解する妨げになっているのです。親しい仲ほど難しいことではありますが、確証バイアスを認識して、相手の動機や結論を仮定せずにまずは話を聴いてみることが大切です。
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