EXIT・兼近大樹に擁護と批判が飛び交う2つの理由 複数テーマを混在させ、善悪に分ける危うさ

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では、なぜこのような状況に至ったのか。兼近さんをめぐる現状にはいくつかのテーマが混在しているにもかかわらず、それを強引にまとめて「『善か悪か』に決めようとする」という風潮が事態をややこしくしているように見えるのです。

「表に出る仕事」をめぐる議論不足

まず批判の中でも最大級のテーマとなっているのが、「被害者の気持ちを考えたら表に出る仕事はしないほうがいい」。当時の被害者や、同じ被害で今も苦しんでいる人のことを考えたら、「『更生したから許される』というのは都合がよすぎる」「それが嫌なら犯罪をしなければいい」とみなす気持ちは正論であり、理解できる人が多いでしょう。

しかし、重要なのは“表に出る仕事”の捉え方。兼近さんは芸能人ですが、たとえば企業の重役やプロジェクトのリーダー、市町村長や議員、各種団体の長、トップアスリートやアーティストなど、個人名が表に出る仕事は多岐にわたるだけに、それらの人々を「一度でも過ちを犯したら表舞台から排除する」という点で見ると、決してひとごとではないはずです。

実際のところ、「一度でも過ちを犯した人は排除していく」という社会にすることは可能でしょう。ただ、批判している人々も、「自分や家族、友人・知人らが生きる社会をどういうものにしていきたいのか」を真剣に考えたとき、そう言い切れるでしょうか。

もし自分や家族、友人・知人が何らかの罪を犯してしまったとき、あるいは、思いがけず巻き込まれてしまったとき、「罪の大きさにかかわらず、生きる道を狭められたまま一生を過ごすしかない」という社会でいいのか。真摯に「やり直そう」と努力している人を受け入れない社会でいいのか。この議論が十分ではないため、兼近さん個人に批判の声が向かいやすい状況になっているのです。

次に目立つ批判は、「多くの人が見るテレビは出演すべきではない」という声。確かに「兼近さんの顔を見たくない」という人もいるでしょうし、その感覚は尊重されるべきでしょう。

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