EXIT・兼近大樹に擁護と批判が飛び交う2つの理由 複数テーマを混在させ、善悪に分ける危うさ

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さらに、「許されたいわけでもないですし、『更生をした』とかいうつもりはまったくないです。僕が死んだときに自分を好きでいられたら、そのとき『更生したかな』って思えると思うので」とコメントしました。これらの言葉から兼近さんが「すでに更生した」とは思っておらず、「生涯向き合っていく」という覚悟を決めた様子がうかがえます。もはや「記者会見でこれ以上話すことはない」とみなすのが自然でしょう。

また、「笑いづらいから芸人はやめたほうがいい」「もともと面白いと思ったことはなかった」などの批判については、一部の人々による主観の押し付けにすぎません。

当然ながら兼近さんがどんな職業を選ぶかは自由であり、それを望むファンもいて、少なくとも彼ら向けの発信をすれば稼いでいくこともできるでしょう。そもそも「笑えるかどうか」という基準には個人差があるうえに、話術に加えて表情や身体の動きなどさまざまな要素が絡むもの。本来楽しいものである“笑い”で、個人の主観を世間の常識に置き換えようとする発想は危険であり、生きづらい社会を作っていくだけでしょう。

このような批判の声を上げる人に欠けているのは、「何が本人にとって最も難しく、苦しい道のりなのか」という視点。芸人をしているからこそ約10年前の過ちを掘り返され、そのたびにコメントを出さなければいけない。しかも報道・情報番組に出演していたら、その頻度は明らかに増えるでしょう。表面的に見たら華やかな世界でも実際のところ兼近さんは、最も過ちと向き合う頻度の多い茨の道を選んだように見えます。

頻発する迷惑行為の抑制効果にも

奇しくも現在、回転寿司店や、うどん店などで迷惑行為を犯した人が猛烈な批判にさらされています。そんなニュースを見た人々は、約10年前の過ちを掘り起こされた兼近さんの姿を重ね合わせて、迷惑行為のアフターリスクについて考えさせられたのではないでしょうか。

「過ちを犯すと社会復帰ができても、いつ掘り返されるかわからない」。さらに「自分のような人を生み出さないように」「自分のような十字架を背負った人生を歩まないために」という意味で兼近さんは象徴的な存在として存在意義が高いのかもしれません。

表に出る仕事から排除すべきか、報道・情報番組出演の是非、記者会見の必要性、笑いに対する感覚など、さまざまなテーマを混在させないこと。「善か悪か」の両極に決めようとせず、それぞれで議論を重ねていくこと。兼近さんをめぐる現在の状況には、その基礎的なスタンスが欠けているのです。

木村 隆志 コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

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きむら たかし / Takashi Kimura

テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。

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