「5浪で明治大学に合格」した彼の"驚きの顛末" 周りに迷惑をかけないよう、3つのルールを作る

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室井さんの少年時代は勉強ができる、活発で目立ちたがり屋の生徒でした。

スポーツも勉強もできる子どもだったという彼は、進学校である埼玉県・春日部共栄高校の普通科特進コースS系に進み、部活動でバスケットボールに打ち込む日々を送りました。

しかし、部活動に熱中しすぎて成績はよくなかったようで、あまり大学に進学する気もなかったのだといいます。

「姉が服飾の専門学校に通っていたので、大学に通っている自分を想像できなかったんです。とりあえず大学を受けて、受からなかったら、定職につかずアルバイトをして生活しようと思っていました」

結局、日東駒専よりも偏差値が下のレベルの大学を受けてもどこにも受からなかった室井さんは、その言葉どおり高校を卒業してからはフリーターとして日々を過ごすことになります。

しかし、このフリーター期間をのちに本人は”暗黒時代だった“と振り返ります。

高校を卒業してすぐに始まったフリーター生活は1年半に及びました。この期間は、つねに中学・高校時代の自分や周囲と比較して悶々とする日々を送ったと言います。

何をしたらいいのかわからなくなった

「僕は9歳から今までバスケットという、目標に向かって頑張るものがあったわけです。でも、それがなくなったから何をしていいのかわからなくなりました。食べて寝ての繰り返しで、高校のときに55キロだった体重は、1年で20キロ増えて75キロになってしまいました。それでも何もやる気が起きず、行動に移せないまま10月に20歳を迎えたんです。僕の同級生は皆大学生でしたし、周囲と比較して『何やってるんだろ、自分……』と思うだけでした」

そんな”空白”の日々を送る中で、「大学に行けば心の中のモヤモヤが晴れるかもしれない」と思った室井さんは11月から受験勉強を始め、4カ月後に友人のいた日本大学に合格して進学しました。

しかし、“2浪”で進んだ日本大学でも、心の空洞が埋まることはありませんでした。この受験を「結果的に失敗で、5浪の年齢まで無為に歳を重ねてしまいました」と室井さんは語ります。

目的を持っていない受験だったので、大学に合格しても内面が何も変わらなかったんです。主体的に勉強をしていなかったから、自分の力で掴み取った合格とは思えなかったんです。受験勉強1つとっても適当で、復習と解き直しをほぼしないありさまでした。10問中3問しか問題が解けなくても『まぁいいか』と言って放置してたように、自分に甘かったんです

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