認知症の母と暮らす脳科学者の私にわかったこと 変わってしまったと家族がショックを受ける理由

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脳の中には、たとえば、人が痛みを与えられているのを見ただけで、自分が実際に痛みを受けているように活動する部位がある。自分の体には直接痛みは受けていなくても、他人が痛がっていると、本当に「痛い!」という反応が自分の脳の中に起こる。これがいわゆる「共感」の脳活動だ。

この「共感」の脳活動の度合いは、痛みを受けているのが誰かということで変わる場合があることが知られている。自分にずっと優しかった人が、痛みを与えられているところを見れば、自分に冷たかった人が痛みを与えられているのを見るよりも、私たちの脳は、ずっと強く共感して「痛たたた!」という活動をする。

同じように、自分のパートナーや、自分の子供に何かが起こったときは、赤の他人に対するよりもずっと強い共感を持つことは、想像にかたくないだろう。夫婦や親子は脳の中でがっちりと一体になっていると考えられ、それゆえに、切り離しが必要になったときには、難しいことがあると思われる。

アルツハイマー病になった後、もともとの関係性が親しければ親しいほど、その人と自分との切り離しがうまくいかず、「この人には伝わるはずだ」「自分が思っているとおりに受け取ってくれるはずだ」と仮定し続けてしまう。

私は、母が自分の意図や感情を汲んでくれることをどうしても当然だと思ってしまう。だからこそ伝わらなかったときのショックが強いのである。

私の誕生日を忘れた母

私にとって、母と自分との関係が脅かされたと思った出来事に、私が生まれたときの状況を母が思い出せなくなったことがある。

「あなたが生まれた日は、とても寒い日だった。夜から病院に行って、コンクリートのような冷たいベッドに寝かされて待っていた。いつまでたっても出てきてくれなくて、お医者さんも、看護師さんも、『こういう状態になったら呼んでください』と言って、とうとう諦めて出ていってしまったのよ。当時は、出産の立ち会いなんて誰もやっていなくて、パパもそこにはいなかったのよ。一晩中、一人でブルブル震えていたわ。本当に寒かった。あなたは早朝になってやっと出てきたのよ。本当に困っちゃった」

母が昔から何度となく語り、教えてくれた私の「世界の始まり」である。

次ページ私にとっては「世界の始まり」だが…
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