世界でも異質!日本の「貸与型奨学金」驚きの成立 戦時中の誕生が、今にも影響を与えている

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『週報』(内閣情報局/1944年2月2日号)の「大日本育英會の誕生」という記事の冒頭部分を引用したい。

「本来わが國の育英制度は、我が國独自の家族制度の本義に則り、その美風に立脚すべきものであって、欧米諸国にみられるような自由主義、個人主義に基づく社会政策的な育英制度とはその根本の趣旨を異にしてをります。我が國では、親は子をその才能に應じて出来るだけ教育し大君に捧げまつる責務を有するものですが、この親の責務に對する協力の意味で、本育英制度が考へられたわけで、この制度の運営に當っては、特にこの點が留意されてをります」

つまり、親は才能ある我が子を、奨学金を使ってでも勉強させよ、ということなのだが、欧米諸国とは根本の趣旨が異なるという点では、発足当初から給付型ではなく、無利子の貸与型だったということ。令和の今でも、日本は諸外国と比較して貸与型の割合が高いと言われているが、この時の決定の影響が続いているのである。

1950年代・学生たちは血を売って得た金を授業料に…

戦後の1953年、大日本育英会は「日本育英会(以下、引用文以外では育英会と記載)」に名義を変更。終戦からそれほど時間が経過していない当時の奨学金は、どのようなものだったのだろうか。

『週刊サンケイ』(産業経済新聞社/1953年4月19日号)の「向学心を満たす学生たち“育英資金制度”の実態を探る」によると、当時の貧困学生の中には「売血【編注:自らの血液を有償で採血させること。献血が一般化した今では考えにくいが、当時の日本は輸血用血液の大部分を民間血液銀行が供給しており、その原料は売血で賄われていた】」する者もおり、そんな彼らにとってみれば、金額はたとえ少なくとも、奨学金は“労せずして得る金”だったという。

そのため、奨学金の希望者は年々増加しており、当時の育英会の奨学生は大学、高校、大学院、通信教育あわせて16万人。ほかにも奨学金を支給する団体はあったが、事業規模は育英会と比べ物にならなかったことが書かれている。

血を売って授業料にする……というのはなかなか衝撃的だが、物価はどうだったのか。当然、今とは異なるため、あくまでも参考程度だが、「国立大学学生ならば、家庭からの仕送りが2000円、育英資金を2000円、合計4000円位あればどうやら学業を継続できる」(日本育英会談)とのことだ。

その4年後の『週刊新潮』(新潮社/1957年2月4日号)の「貧しき学生におくる現代奨学金の育てるもの」を読んでみると、「現在、育英資金は、日本育英会が年間42億(国家借入)、民間約六百団体あわせて約7億、計約50億の金が30万人の学生のために使われている勘定である」と記載されている。

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