「え?」
前触れもなく、あまりに突然でうまく聞き取れなかった。
「ユカリさん、店長の……」
玲司は、厨房から様子をうかがっている流と顔を見合わせる。
「休み?」
事情を知らない轟木は、ユカリが出てくるのを待っていたのかもしれない。
玲司が一歩、轟木の前に出た。
「ユカリさんは、今、アメリカです」
「アメリカ? なんで?」
轟木は目をくりくりさせた。おそらく、驚いた時の感情表現なのだろう。
玲司は、流に目配せをしながら、
「実は、ここの噂を聞いてアメリカからやって来た少年の行方不明になった父親を探しに行くとか言いだしちゃって……」
その少年は、過去に戻って行方不明の父親に会おうと思ったのだろうが、残念ながら、少年の父親はこの喫茶店を訪れたことはなく、会うことができなかった。希望をなくして意気消沈する少年を見て、ユカリは放っておけなかったのだという。
その場に居合わせた玲司は、ことのなりゆきを事細かに轟木に説明した。
「それで、アメリカに?」
「はい」
「ははは、さすが、ユカリさんだ」
轟木の笑い声は店内に響き渡った。
失踪とか、行方不明という言葉のイメージからは想像できない、豪快な笑い声だった。
「こんなハガキが来たから、会いにきたのに……」
林田の持っていたハガキと同じものが出てきた。ちゃんとアメリカの広大なモニュメントバレーをバックにユカリも写っている。
「これ、旅行じゃなかったのかよ? 困った人見つけると、ほっとけないんだよな、あの人……」
轟木は苦笑いを見せた。しかし、嫌味がない。なんともいい笑顔である。
「ですね」
玲司もそう思っている。
「過去には戻れますよ」
「いつ帰ってくんの?」
「わかりません、連絡も時々電報がくる程度なので……」
「電報? 今時、電報か……」
「はい」
「そっか、じゃ、過去には戻れねぇってことか……」
轟木は、最後の言葉だけ残念そうにポツリとつぶやいた。
(やはり)
と、玲司は思った。轟木は過去に戻るためにやって来た。ただ、その真意はわからない。
轟木は、ハガキをカウンターの上に残したまま、伝票を取り上げ、席から立ち上がる。
ボ……オーン
午後五時半を告げる鐘が響く。
轟木は、一瞬、鳴った柱時計に視線を走らせたが、そのまま黙ってレジに向かった。
「過去には戻れますよ」
轟木の背に向かって声をかけたのは流である。
ライトアップされた紅葉を背に、振り向く轟木の目には大きな黒い影に見えたに違いない。
「戻れる、と言ったのか?」
神妙な表情で轟木が聞き返した。
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