(2):過去に戻れる喫茶店、失踪した相方待つ男の一言(1月9日配信)
(3):5年前に逝った妻、会うために過去へ戻りたい男(1月10日配信)
いざ、会いに行こうとする者の逡巡
一連の様子を、轟木、玲司、流がじっと眺めていた。
空席になった椅子。
この椅子に座り、コーヒーを淹れてもらえば、過去に戻ることができる。
しかし、轟木はしばらく黙ったまま動こうとしない。
「さっちゃんを……」
その沈黙を、玲司が破った。
「呼んできますね」
玲司は流にそう告げて、階下へと続く階段に向かった。
玲司の背に、
「数も」
という、流の指示が飛ぶ。
玲司は、無言でうなずくと、カツカツと足音を響かせながら階下へと姿を消した。
この時になって、ようやく轟木に正気が戻って来た。
いなくなった玲司に気づいたのも、おそらくは、この時である。
轟木は、
(座ってもいいのか?)
と、流に目で訴えた。
「どうぞ」
とだけ答えた。
流は、空席を前にした轟木の緊張に見覚えがあった。
それは、
亡くなった妹に……
亡くなった親友に……
亡くなった母に……
亡くなった妻に……
いざ、会いに行こうとする者の逡巡のようなものである。
そして、その戸惑いは、相手が大切であればあるほど、強くなる。なぜなら、過去に戻って最愛の者に会えたとしても、その相手が生き返ることはない。どんな努力をしても現実を変えることはできないというルールがあるからだ。
まして、轟木は、生前の妻に見せられなかった悲願、芸人グランプリでの優勝を報告に行こうとしている。
それは、相手を喜ばせたいからである。
轟木にとって、最愛の妻、世津子の喜ぶ顔を見るのは、最も幸せを感じる瞬間に違いない。世津子にとっても、轟木の報告は大きな幸福感をもたらすだろう。
ただし、それは、コーヒーが冷めきるまでのわずかな時間しか共有することができない。轟木は必ず帰ってこないといけないのだ。でなければ、今度は轟木が幽霊となってこの席に座りつづけることになる。
過去に戻る、ということは、それらを承知の上で席に座らなければならない。
例の席に向かって踏み出す一歩が、重くないわけがない。
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