「戦力外通告」受けたプロ野球選手"逆転の人生" 寺田光輝、大嶋匠、島孝明が向かう"次は勝つ道"
今まで自由にやらせてもらった恩を返すためにも、親に金銭的な負担だけはかけたくない。これは絶対だった。プロに入ったときも正々堂々と評価されたのと同様に、私立の医学部に行くのも自らの力だけで行きたかった。何よりも世間からボンボンの金持ちだから行けたと思われることが、自分の中でどうしても許せない。
弱い自分を追い込み、追い越す気概を見せろ。医学部受験は、意地という名の使命もあり、大げさでなく命を賭すほどの所業だった。そこにはプロのマウンドに立ったとき以上の覚悟があった。
「プロ野球の過酷な競争社会を経験していれば、世の中に出ても大丈夫っていう方がいますけど、僕らはプロのアスリートとしてお金をもらっていて、アスリート以外の方はその仕事のプロとしてお金をもらっている。じゃあ、僕らはプロのアスリートでなくなった場合、その仕事のプロの方たちにどうやって立ち向かえばいいのか……、かなり難しい。
精神的には強くなっているかもしれませんが、はっきり言ってプロ野球選手を辞めた僕なんかまだ何の役にも立ってないです。絶対に野球以外の仕事のほうがしんどい。なんでアスリートだけが神格化されるか僕にはわからない。一般社会で頑張っている皆さんのほうが強いですよ」
多くのプロ野球選手を取材してきたが、こんな言い方をした元プロ野球選手は初めてだった。
長い道のりを経てプロ野球入り、2年で戦力外に
「世間では東大に入るよりプロ野球界に入るのは難しいと言われてますが、僕にとっては東大に入るほうが難しいです」
真顔で言う寺田。だが、彼のこれまでの歩みは東大生でもマネのできない、ある意味、波乱に富んだ人生である。
「高校3年最後の夏、3回戦に先発で投げてボコボコに打たれて負けたんです。チームメイトや応援してもらった周りの人たちに心の底から申し訳なく思いました。僕がプロになることで『あの寺田と一緒にプレーした』とチームメイトが周りに自慢したり、一緒にプレーしたことを誇りに感じてもらえたらという思いが、プロを志すきっかけとなりました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら