「戦力外通告」受けたプロ野球選手"逆転の人生" 寺田光輝、大嶋匠、島孝明が向かう"次は勝つ道"

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「プロ野球では成績だけ見たら失敗だと思う人が大半ですけど、自分からしたら満足というか、これ以上やれることはないというところまでやったのでお腹一杯です。でも入ったときから、戦力外通告を受けたら野球を辞めようと決めていました。トライアウトも受けない。ファイターズから『お疲れさま!』と肩を叩かれたらスッパリ辞めようと決めて、プロ野球界に入ったのは確かです」

プロ7年目が終わったオフに戦力外通告を受け、第二の人生を歩もうとする際には、さまざまなオファーがあった。ブルペンキャッチャー、大学のソフトボールの指導者、東京オリンピック組織委員会のソフトボール担当……、20代なら「面白そうだな」と飛びつきそうなものばかりだ。だが、大嶋はどれも食指が動かず断りをいれた。面白そうなだけではうまくいかないことを、大嶋はプロ野球選手としての7年間で思い知らされたからだ。

遠回りはもう極力したくない……。大嶋は、じっと考えた。自分は一体何がしたいのか。自分の意思でやりたいことは何なのか。思いを巡らす最中、記憶の引き出しからポロリと転がり落ちた。

「そういえば、大学卒業したら高崎市役所に行くって言ってたっけ!?」

大学時代の在りし日の思いが蘇る。もうじゃなくて、まだ28歳。少し遠回りをしたが、もう一度追いかけてみてもいいではないか。誰にも気兼ねすることもなく、誰かに背負わされた重い荷物を背負うことなく、自らの意志で決めた道を進めばいいだけだ。大嶋は、生まれて初めて進路について目の前が開けた感じになった。自分で決断した爽快さに肩の荷が下りた。

有言実行。30.8倍の公務員試験を突破した。ユニフォームをスーツとネクタイにし、大嶋は今、群馬県高崎市役所で職員として、市民を支えている。

大嶋匠さん
1990年生まれ、群馬県出身。29歳で高崎市役所の臨時職員に、30歳で正規雇用として第二の人生をスタートさせた(写真:『第二の人生で勝ち組になる』より)

「イップス」で選手生活を断念、もう一度“プロ野球”へ

千葉ロッテマリーンズの元投手、島孝明が引退を決断したのは「イップス」だった。

プロ1年目の8月26日、イースタンリーグでのヤクルト戦、2番手で登板した島は投球練習から指にボールがうまくかからない。3連続四球で無死満塁とするもなんとか二死までこぎつける。

だがそこから2連打と2つの四球による、2/3イニングを2安打、5四球、7失点の大炎上。高校時代は150kmの剛速球を投げ、U-18サムライジャパンとしてアジア選手権大会にも出場した男のプロ通算成績は「一軍公式戦出場なし」だ。島はイップスについて、こう語る。

「突然、きますね。気にしていなかった部分を気にしてしまうっていうか……。例えば、ボールが抜けちゃったといった何気ない思いがきっかけとなり、自分の中で変に捉われてしまうとどんどん悪くなっちゃう。考えて、考えて……よくわかんなくなるパターンですね。

ピッチャーって繊細で、感覚を大事にしたいから、日によっていいな、悪いなというのがあるんですけど、その感覚がなくなっちゃうのが大変でした。どう修正したらいいのか、どう投げていいのかがわからない、何をやってもうまくいかないんですよ」

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