定年後「自分の居場所がない」と嘆く人の深層心理 「居場所より出場所」を作るという新たな視点

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「居場所がない」と嘆く人たちは、この「所属するコミュニティ」の喪失、「どこにも所属していない」という帰属意識の欠落を感じているのでしょう。

そこで重要になってくるのが、以前より私が提唱する「接続するコミュニティ」という視点です。「コミュニティに接続ってどういうこと?」と思われる方もいるかもしれません。

コミュニティとは、所属するものであって、その帰属意識が人々に安心を提供するものだと考えられているからです。が、本当に所属をしなければ、人とのつながりは生れないのでしょうか。

すでに「接続するコミュニティ」の中で生きている

実際にはそんなことはありません。所属の有無に関係なく、私たちは接続することでのコミュニティを作れるはずなのです。

例えば、趣味のコミュニティなら、趣味を行うときだけそのメンバーと接続しています。趣味以外の時に相手がどんな仕事をしているとか、どんな生活をしているとかは気にしないでしょう。かといって、趣味の集まりの時は、協力したり、共に喜びを分かち合ったりしているはずです。

かつての職場のコミュニティは、家族同然で、相手がどんな生活をしていて、どんな価値観なのかを知り尽くしていたかもしれません。しかし、今では、仕事上でうまく協力し合えれば、相手のプライベートな部分を深く知る必要もない。深く知らなくても仕事上は回るからです。

上司もかつてのような師匠的存在ではない。仕事上でうまく関係性が構築できれば、必ずしも仕事帰りに一緒に飲みに行ったり、休日にゴルフに行く必要はない。

もちろん、仕事もプライベートも仲良くしたいのならそれはそれで構いませんが、「飲みに行かないから」「ゴルフを断るから」などという理由で部下の評価を下げたり、職場いじめをする上司は大問題になります。

このように、意識せずに、私たちはもうすでに「接続するコミュニティ」というものの中で生きています。確固たる「所属するコミュニティ」だけの中でしか自分がいるのではなく、時と場合に応じて、柔軟に接続するコミュニティを組み替えていっているはずなのです。

つまり、これからのコミュニティとは、場所や囲いではなく、ニューロンネットワークにおけるシナプスのような位置づけとなり、人と接続するための手段としての役割が求められてくるのです。

そうすると、1つのコミュニティが仮になくなっても、自分自身を見失うことはなくなります。むしろ時間が経つにつれて、接続するコミュニティが全て入れ替わることもあるでしょう。唯一の所属に依存しない分、一人ひとりに個人としての役割の拡張も生まれる。なぜなら、役割は、接続するコミュニティの数に応じて多重化するからです。

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