定年後「自分の居場所がない」と嘆く人の深層心理 「居場所より出場所」を作るという新たな視点

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中高年の男性のみなさん、想像してみてください。定年退職して高齢の夫婦のみの家族になった時、もはや会社の管理職でもないし、親でもない。唯一残るのは妻の夫という役割だけになります。

しかし、そこで今更ながらハタと気づきます。夫の役割とはなんだ?と。正直、働いて金を稼ぐ以外に夫としての役割を見出せない人が多いのではないでしょうか。退職し、金も稼いでいないとすると、もはや夫の役割でさえ喪失してしまいます。

居場所の喪失とは自己の役割の喪失

役割を喪失した人間は何もすることがなくなり、だらだらと終日テレビを見て過ごすことになってしまいます。今までやることもなかった家事や料理にトライしようと思っても、何十年もやってこなかったことをいきなりできるほど甘いものではない。むしろ、妻からすれば余計な手出しは迷惑になる可能性が高い。

かくして、仕事をやめて夫婦だけになった高齢男性は、急激に自己の役割を失うとともに、唯一の「所属するコミュニティ」メンバーである妻からも邪魔者扱いされてしまうことにもなります。居場所の喪失とは自己の役割の喪失なのです。

囲いに覆われた建築物としての「家」は確かに残っていますが、そこにはもう自分の居場所がないことに気付かされます。「所属するコミュニティ」だけに唯一依存してしまう末路はそういうものとなりかねません。

その点、「接続するコミュニティ」では所属を必須としないし、単発での関わりでもいい。継続性すらなくてもいい。そのかわり、たくさんの接点を持つことが求められます。

「所属するコミュニティ」が「居場所」としての安心だとするならば、「接続するコミュニティ」は「出場所」としての刺激です。

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