日本ミステリーの基盤構築した江戸川乱歩の苦悩 言論弾圧も、戦争の影響受けた「日本近代文学」

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『山椒魚』(新潮文庫)
井伏鱒二 いぶせ・ますじ(1898〜1993)
井伏文学のエッセンスの凝縮                  
『山椒魚』

多くの作家が戦争に対してさまざまな距離をとる中、戦前、戦後を通じて超然として見える作家は谷崎のほかにもいる。井伏鱒二もその1人だ。

19世紀末に生まれた井伏は、1929年、『山椒魚』『屋根の上のサワン』を相次いで発表、注目を集める。1938年には『ジョン萬次郎漂流記』で第6回の直木賞を受賞。

「山椒魚は悲しんだ」──

初期の代表作である『山椒魚』には、井伏文学のエッセンスが詰まっている。ユーモア、批評性、叙情、諦観、小さき者への愛情……。

「山椒魚は悲しんだ」という冒頭の一文からして、そのすべてが含まれているではないか。

山椒魚は悲しんだ。
彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入口のところがそんなに狭かった。

谷川の岩屋をすみかとしていた山椒魚が、ある日、自分の身体が成長して岩窟の外に出られなくなっていることに気がつく。

「なんたる失策であることか!」

山椒魚は強がったり、諦めたり、再び悲しんだりを繰り返す。やがて、この岩屋にちん入してきた蛙との奇妙な生活が始まる。山椒魚は蛙を外に出すまいと岩屋の窓を自らの体で塞いでしまう。蛙と山椒魚はののしり合う。

「一生涯ここに閉じ込めてやる!」
悪党の呪い言葉は或る期間だけでも効験がある。蛙は注意深い足どりで凹みにはいった。そして彼は、これで大丈夫だと信じたので、凹みから顔だけ現わして次のように言った。
「俺は平気だ」
「出て来い!」
山椒魚は怒鳴った。そうして彼らは激しい口論をはじめたのである。
「出て行こうと行くまいと、こちらの勝手だ」
「よろしい、いつまでも勝手にしてろ」
「お前は莫迦だ」
「お前は莫迦だ」

1年が過ぎた。まだ口論は続く。

山椒魚は岩屋の外に出て行くべく頭が肥大しすぎていたことを、すでに相手に見ぬかれてしまっていたらしい。
「お前こそ頭がつかえてそこから出て行けないだろう?」
「お前だって、そこから出ては来れまい」
「それならば、お前から出て行ってみろ」
「お前こそ、そこから降りて来い」
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