さらにまた1年が過ぎた。蛙の嘆息を聞いた山椒魚は蛙を許そうとする。しかし蛙は空腹で、もう動くだけの力がなく、大きなため息をつく。
「お前は、さっき大きな息をしたろう?」
相手は自分を鞭撻して答えた。
「それがどうした?」
「そんな返辞をするな。もう、そこから降りて来てもよろしい」
「空腹で動けない」
「それでは、もう駄目なようか?」
相手は答えた
「もう駄目なようだ」
よほど暫くしてから山椒魚はたずねた。
「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」
相手は極めて遠慮がちに答えた。
「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」
太宰治が信頼を寄せた井伏
年配の多くの読者は、この幕切れを強く記憶しているだろう。しかし井伏鱒二は最晩年、全集の発刊にあたって、このラストシーンをすべてカットし物議を醸すこととなった。
井伏は直木賞受賞作家の中で最も早く選考委員となり、さらに芥川賞の選考委員も務めた。温厚な人柄を慕って多くの文学者が彼の周りに集まった。あの偏屈な太宰治でさえ、井伏にだけは全面的な信頼を寄せていた。
井伏作品の中で私が最も好きなものの1つは『厄除け詩集』と題された漢詩の超訳だ。
有名なものは于武陵の「勧酒」の訳。
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
あるいは、高適の『田家春望』。
正月キブンガドコニモミエタ
トコロガ會ヒタイヒトモナク
アサガヤアタリデ大ザケノンダ
井伏は1920年代後半から亡くなるまでの50年以上を荻窪で過ごした。最晩年に発表した『荻窪風土記』には、そこでの数々のエピソードが描かれている。
1965年から出身地でもある広島を題材にした『黒い雨』の連載を開始、翌年刊行。同年、文化勲章を受章。1993年、95歳の長寿をまっとうした。
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