乱歩はさらに『陰獣』『蜘蛛男』など、猟奇性を増した作品をヒットさせていく。これは「エログロナンセンス」と呼ばれる昭和初期の退廃した雰囲気にもマッチした。1929年の世界大恐慌から、1936年の二・二六事件のあたりまで、人心は荒廃の一途をたどり社会の閉塞感はより強くなった。1936年の阿部定事件を頂点として、人々はやるせない不安のはけ口をエロスや暴力に求めた。
一方、二・二六事件を契機にして、日本社会は一気に国家主義的な色彩を強めていく。検閲はこれまで以上に厳しさを増すようになった。実際、四肢を失った傷痍軍人の夫を妻がもてあそぶという内容の『芋虫』は、刊行から10年も経った1939年に発禁処分となっている。
時局に鑑みれば、今後は自由な表現はなかなか難しいだろうと感じた江戸川乱歩は、作品発表の場を少年雑誌へと移していく。講談社の『少年俱楽部』に発表された『怪人二十面相』は大ヒットとなり、読者の幅を大きく広げる結果となった。
探偵小説の1つの特徴は、ほかの文学作品と異なり、1人の名探偵がいくつもの作品に登場する点にある。古くはシャーロック・ホームズあるいはエルキュール・ポアロ。『怪人二十面相』の主人公明智小五郎は、日本におけるその先駆となった。そればかりか悪役側の怪人二十面相、明智探偵とともに悪と戦う少年探偵団も人気を博し、戦後、映画化、ドラマ化が続く。
かつての猟奇的な作品から大きな変化
『怪人二十面相』の書き出しは、こんな具合だ。
「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな盗賊のあだ名です。その賊は二十のまったくちがった顔を持っているといわれていました。つまり、変装がとびきりじょうずなのです。
当たり前のことだが、子ども向けとは言え、かつての猟奇的な作品とは、ずいぶん文体が変わっている。
戦前を代表する少年誌『少年俱楽部』は75万部という当時としては圧倒的な発行部数を誇った。人気の連載は田河水泡の戦争漫画『のらくろ』や、平田晋策(私の大叔父)の『昭和遊撃隊』『新戦艦高千穂』といった子ども向けのSF軍事小説だった。
乱歩自身は戦後も旺盛に執筆活動を続けるとともに、後身の発掘にも当たった。弟子の山田風太郎はもとより、高木彬光、筒井康隆、大藪春彦、星新一など、彼に見いだされた作家は枚挙にいとまがない。1965年没。享年70。
現在、東野圭吾さんから『名探偵コナン』に至るまで、日本の推理小説、ミステリーは極めて幅広い展開を見せ、海外でも高い評価を得ている。その基盤を作ったのは紛れもなく江戸川乱歩だが、その背景に戦前の言論弾圧があったことは、あまり知られていない。
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