大人になった「ビリギャル」が悟った受験する意味 勉強って「自分のため」にするものじゃない
皮肉なことに、多くの人は勉強する意味を、大人になってはじめて体感する。「やべーもっと勉強しとけばよかった」と、だいたいの大人が思うことになる。年齢を重ねると、背が高くなるだけでなく、「視座」が高くなる。見える景色も広くなるし、視点も多くなる。そうすると、学校で勉強していたことの多くが、私たちのリアルな生活とつながっていることを、やっと理解する。
「数学って絶対意味ないと思ってたけど、数学できる人ってこういう分野で活躍できるのかよ……」とか、「日本史とか世界史って、ただの暗記だと思ってたけど、いまこの瞬間起きているニュースを理解するには歴史知らないと無理なんじゃん……」とか、えーそれは早く知りたかったよ、ということばっかりだ。
こうやって、もう何世代も「あーあ、もっと勉強しとけばよかったな」と、大人になって後悔する人が続出している(かく言う私も、そのうちの一人だ)。
伝わらない、愛のメッセージ
例えば、大人だって「こんな意味ねえ会議に何時間使うんだよふざけんなよ」と思うことがある。そう思いながら出席する会議で、いいパフォーマンスなど発揮できるはずがない。我々人間は元来、「意味がないと信じるもの」を頑張れるようになど、つくられてはいないのである。
では、子どもたちの気持ちになってみたらどうか。あなたがもしもう大人なら、自分が子どもだったとき、学生だったときのことを思い出してみてほしい。「あなたのために言ってるのよ? 勉強しなさい!」と言われて、どう思うだろうか。「うわあ、お母さん、私のために言ってくれてほんと優しいな。勉強しよう! ルン♪」とは、たぶん、ならないだろう。
「サインコサイン? 織田信長? それらは私の人生に関係あるんですか? これ覚えて、なにになるんですか?」と半ばキレ気味で思ったことが一度でもある人は、素直に認めてほしい。勉強しなさい! といま子どもを追いかけ回している大人だって、元々はおんなじところにいたんだ。
しかし、親が意地悪で言っているわけではないのは、おそらく子どもらも理解している。親は子どもが大好きで、幸せになってほしくて言っている。なかには、「自分のように後悔してほしくない……!」という強い思いに駆られて、必死で子どもを追いかけ回して言っている人もいるだろう。
しかし、その思いは残念ながら伝わっていない。これを傍から見ていて、この愛のメッセージの一方通行は、どうやったら解消されるだろうか、とずっと思ってきた。そして、私の個人的な結論にたどり着いた。