見城徹×藤田晋「仕事と人生に効く」熱狂対談 圧倒的努力を積み重ねろ、おごり高ぶるな!

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見城:その後、いろいろあったけど、堀江とはなにか縁があるなと思っていたんです。そして、藤田が主宰した出所祝いのパーティーで久しぶりに再会したわけだけど、そこから藤田が堀江と一緒にビジネスを考えて、しかも50%対50%で始めたっていうこと自体がすごいなと思うんだよ。堀江は懲役が終わったばかりで、ひとりでは会社を作ることもできない。いくら刑を全うしたと言っても、1回服役した人が上場するのも難しい。それを覚悟で始めたわけだから。

藤田:堀江さんの事件の時、僕は世の中がおかしいと思っていました。なぜ堀江さんが逮捕されて懲役刑になるのか。僕は会社の代表だから表立って何らかの行動をとることはできなかったけど、そのことでずっと負い目を感じていました。

見城:二人の心には真ん中に全くブレない芯があるんですよ。だから今回のように厚い友情で一緒に行動を起こすし、ちゃんと堀江の悪いところは悪いと言う。それでも揺るがない根本があるということだよね。

藤田:基本的に考えは合わないし、選ぶ手法は真逆なのですが、根っこの価値観は一緒だという想いはあります。同じ時代に会社を作り、同じような経験をしてきたので、なぜ足を踏み外したのか僕には想像がつきますし、堀江さんとは固い信頼関係がありますね。

"GNO"がないところに仕事も人生もなし

見城 徹(けんじょう とおる)●1950年12月29日静岡県清水市(現:静岡市清水区)生まれ。静岡県立清水南高等学校を卒業し、慶應義塾大学法学部に進学。大学卒業後、廣済堂出版に入社。自身で企画した『公文式算数の秘密』が38万部のベストセラー。75年、角川書店に入社。『野性時代』副編集長を経て、『月刊カドカワ』編集長に。『月刊カドカワ』時代には部数を30倍に伸ばす。400万部を超えた森村誠一の『人間の証明』や5本の直木賞作品をはじめ数々のヒット作を生み出し、41歳にして取締役編集部長に。93年、角川書店を退社。幻冬舎を設立。設立後、五木寛之『大河の一滴』など21年間で21冊ものミリオンセラーを世に送り出す。著書に『編集者という病い』『異端者の快楽』。藤田晋との共著に『憂鬱でなければ、仕事じゃない』『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』などがある

見城:全くのネット音痴の僕が755を始めたのも、堀江と藤田に対する義理と人情です。それしかない。義理、人情、恩返し=GNOは一番大切なことで、これがないところに仕事も人生もない。堀江と一緒に755を始めた藤田も同じでしょう。僕はGNOだけはきちっとやるということを自分に言い聞かせているし、どんなに辛くてもそれをやり切ることが大切だと思う。古い人間だと思われても、全くその思いはブレないね。

藤田:ある政治家の方も同じようなことを言っていました。人に恵まれる人は義理、人情とやせ我慢があると。人に恵まれれば仕事、人生はうまくいく。ただその逆は難しいですよね。やせ我慢をせず、義理を果たさず、自分の利益を第一に考え行動することは短期的に得をしているように見えて、実は大損しているんです。これは見城さんから教えてもらったことですが。

見城:やせ我慢とは、借りは作らないということ。できるだけ借りを作らず、貸すことを10ぐらい貯め続けなきゃいけない。常に義理、人情、恩返しを尽くしているから、こっちから何かを頼もうと思ったらいくらでも頼めるし、受けてくれる。でも、ここで頼んでしまったら安目を売っちゃうと思い我慢をする。

藤田:まさにやせ我慢ですね。

見城:そして15個、20個の貸しを作れば、どうしても頼みたいことができた時に、相手は受けざるを得ないでしょう。それが大きな仕事になる。

藤田:頼み事を聞いてもらったら自分が得しているように思えるけど、そういうやつは小さいということですよね。

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