26歳女性「パワハラでの休職」支えた"母の言葉" 追い打ちになるような事を言わないでいてくれた

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そこから回復するのにすごく時間がかかったし、完璧には回復しきらないということを受け止めるのにもいちばん時間がかかったかもしれません。

それからは、コミュニケーションというものの捉え方を1から構築しなおしました。まず「相手の言っていることを100%理解することなんて不可能だよね」って自分を落ちつかせて、伝わらなくても「まあそういうこともあるよね、次はもっとこうしよう」と思えるように、自分をトレーニングしてきました。今も完璧にできるわけではないですけど。

――そこまで俯瞰して、ショックから身を守りながら自分を捉えることはなかなかできないことだと思います。

そうですね、ひたすら練習を続けてきたんですが、それに付き合ってくれる友達がいたからできたことだと思います。

会話ができなくなってすぐ、親しい友達に話して、練習相手になってもらっていました。

よほどのことがない限り縁を切られることはないと思える友達がいて、相手の許してくれる限り何度でもチャレンジしました。失敗しても大丈夫と思える相手がいる、そういう関係性が構築できているのが幸いでした。

つらかったのは傷病者手当の申請などの手続き

あと、休んでいる期間本当にしんどかったのが、傷病者手当の申請や保険料の支払いなど、諸々の手続きでした。ただでさえつらいのに、国が追い打ちをかけてきているような心地でした。

諸々の申請、Webでできないものが多すぎるんですよね。毎月病院に足を運んで診断書をもらい、申請書を手書きして、郵送する、という作業がいちば難しいときにそれを強いてくる。

私の場合は母のおかげでどうにかなりましたが、家族からのサポートを得られない環境だったら、傷病者手当が受け取れず、保険料も支払えず、きっと今生きていなかったと思います。

休職中に保険料の減免申請をする人は多いと思うのですが、私のときは「今年度は無理なので来年度から」と言われてしまいました。困っているのは今で、到底払える状況ではないのに。制度が人を守るために機能していない、どころかさらに追い詰めるような状況で、なんのための政治なんだろうと。こういう制度のせいで命を落としている人もいると思います。

いちばんしんどいときにどんどんお金が出ていってしまってかなり心細かったです。

――これまでに受けたサポートの中で特に助けになったのはどういったことでしょうか。

私の場合は母の存在が大きかったです。倒れたとき、電話で事情を説明すると、母の生活もあるはずなのにすぐ「帰ってきなさい」と言ってくれたのがまず救われました。

それに、追い打ちになるようなことを言わないでいてくれたのがいちばん助かったところです。実際「いちばんつらいのは本人なんだから、とにかく余計なことは言わないでいよう」と心に決めていたと後に言っていました。

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