「なんでもっと早く辞めなかったの」とか「仕事ってそういうものだから」とか、そういう言葉を投げかけられて病状が悪化してしまう人も多いと思うので、私は恵まれていると思います。とにかく回復させることが最優先で、自分の感情なんて二の次だと。
――当時を振り返って、今どんなことを思いますか?
当時はやりがいがあるとさえ思っていたんです。 神事に関することだけでなく、PCを使っての資料作成やSNSでの広報的な業務など、いろんな仕事ができる職場だと。
でも振り返ってみれば、本当にただただ無駄な仕事ばかりで、専門的に何かが身に付いたということは一切ないんです。結局トラウマと病気しか残らなかった。もしあったとしてもそれは他の場所でも当然得られたはずのものだと思うんです。だから神社を辞めたあと、自分の掌に残っているものの少なさに愕然としました。
――かつてのみずほさんのようにひどい職場で働く人と関わりを持ったとしたら、コミュニケーションの上でどんなことを心がけますか?
母がそうしてくれたように、「辞めろ」とは絶対に言わないです。周囲から辞めろ辞めろと言われるとかえって頑なになることがあると母はわかっていたのだと思います。
傷を負ったサインを見逃さないで
母の話し方は、自分の主張を押し付けるようなものではなく、私の思考の手を引いてくれるような語り口でした。
母からは「どうしてそんなふうに思っていたと思う?」「こういうところはおかしいと思わなかった?」ということを繰り返し言われて。そうやって問いかけをされるうちに「そういえばそうだな」と、自分の置かれていた状況を自覚しはじめました。
自覚を促す言葉のかけ方が何かあると思っていて。強い調子にならないように問いかけて、疑問の種を植えるというか。やっぱり自分で気づかないと納得できない、客観視できるようにならないのだと思います。
問いかけるにしても、はっきり答えられなくてより頑なになってしまう類の質問もあると思うので、本当に難しいんですが。
理不尽な職場に勤めてきて、それが染み付いてしまっている状態なので、聞かれたって答えられない、筋の通らないことばかりなんですよね。理由のない苦しみばかりなので。
私から渡せる「種」として、今渦中にいて自覚に至っていない人には、今の時点では響かないかもしれないけど、それでも「壊れない体はない」ということを伝えておきたいです。
「つらい」とか「しんどい」って、ダメージが目に見えないからわかりにくいですが、傷を負ったサインなんですよね。どうか、体からのサインを無視しないでほしい。「見えない」は「ない」ことではないから。
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